平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ちょっとだけ自慢。

振り返ればかなり更新が滞っていることに気がついた。頬をなでる風がやわらかくなり、9月に入ってすっかり秋めいた日々をあまりにダラダラと過ごしていたせいで、どうやら書くのを忘れていたようである。いやそんなにダラダラと過ごしていた覚えはないぞと、手帳を開いてみたらやっぱりたくさんの予定が書き込んであるので、それなりに書きたいことや書くべきことはあったのだろうが、今となってはよく思い出せない。まあいいか。

毎日新聞で書かせていただいている「身体観測」という大層な見出しのコラムは、もう4年目に突入した。ネタ探しの日々に疲れてイライラする時もたまにあるが、そのネタ探しをする時間のほとんどは楽しむことができている。先日、現役最後の年から始めたこの連載のきっかけを作ってくださった方と久しぶりに食事をする機会があり、なかなかの高評価を得てちょっと得意げになった。ラグビー漬けの日々を過ごしてきた身としては、「新聞の連載」が社会的にどれだけの意味を持つのかについてあまりピンときていなかったのだけど、どうも僕が想像していた以上にそう簡単にはできないものなのだそうだ。34の若造が名前入りで3年以上も書くというのは奇跡に近いとおだてられて、世間知らずのラガーマンはすっかりのぼせ上がってしまった。誰かに認められるために書き始めたわけではないが、書いたものがどこぞの誰かに伝わればええなあという想いで書いてきたので、褒められるとやはりうれしい。「豚もおだてりゃ木に登る」ってなもんである。

そう、お察しの通り、自慢である。ニヤリ。

それにしても「いっちょ、書いてみるか」というあの一言がきっかけでこうして書かせてもらうことになるのだから、人生なにが起こるかわからないものである。当時はまだホームページだったがこうしてサイト上に駄文を書き散らしていたこともコラムの連載には功を奏したわけである。しかしながら、それはあくまでも結果に過ぎない。明確な目的に向かって取り組むことも大切だが、目的がはっきりせずともとにかく面白くて楽しいからやってみるということは、「あり」である。むしろ、その方が精神衛生上はとてもよい。だってとんでもないところに辿り着いてしまうんだから。

未来への扉は向こう側から開く。
開いた瞬間にさっと飛び込んでしまえばいいだけである。

とにもかくにもこうして書く場所を与えていただいているのだから、「もういいです」と断られるまではしつこく書いていこうと思う。文章構成はガサツだし、表現は乏しいし、ちょっとくどい感じに後で読み返して恥ずかしくなることもあるが、たまーに「オレってええこと書くやん」と思うこともあって、そんなときは何ともいえず気分が高揚する。だから続けてこられたのだろうし、たぶん僕は書くことが好きで好きでたまらなくて、それはつまり誰かに自分の想いをわかって欲しいと強く望んでいるということなんだろう。

というわけでこれからもご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
毎日新聞関西版の夕刊にて隔週火曜日に連載中です。