大学選手権開幕。同志社、関学の前に散る。
今年も大学選手権が開幕。昨日は1回戦8試合が行われ、同志社大学と関西学院大学の試合を見るために花園まで足を運んだ。ぐっさん一家にツカ、後輩のオキタで母校の戦い振りに熱い視線を送った。
関西リーグでは17-45で敗戦。すっかり水をあけられた感のある関学相手にどこまで粘れるか。ここまでの両校の戦い振りからすれば思いのほか実力の差がある。関学の方が一枚上手だろうなと思いつつ、試合開始のホイッスルが鳴り響いた。
開始1分で同志社が先制トライ。願ってもいない展開に少し興奮する。もしかすると底力が発揮されて勝ってしまうかもしれないという期待が膨らんだ。1シーズンで2度、試合をするというのは、勝負論として考えればとても面白く、1戦目で勝利を収めたチームは無意識的にプレッシャーを受けるものである。というのも「勝って当たり前」という気持ちがどうしても芽生えるからである。そこに隙が生まれ、「一度負けてるんだから駄目でもともとだ」と開き直ってぶつかってくる相手に敗戦を喫するという展開は、どのスポーツにも見られる現象だ。こうした図式が成り立つのならば、この試合の行方はわからない。
リベンジという淡い期待を抱かせるには十分な開始早々のトライであった。
だがしかし。関学は地力に勝った。間もなく逆転を許してからノーサイドの瞬間まで、一度たりとも勝てる気がしなかった。残り時間と点差を考えればきわどい時間帯もあるにはあったが、逆転劇が起こるとはどうしても思えなかった。なぜそのように感じたのかはよくわからないが、とにかくそう感じたのである。
なぜそう感じたのかについては、思い返してみれば心当たるポイントがいくつかある。たとえば、残り時間がわずかな中で少なくとも2チャンスは必要な場面でのペナルティ。そのペナルティで同志社はタッチキックを選択した。モールで押し込んで確実にトライをとるという狙いがあったのかもしれないが、それまで特段モールで優位に立っていたわけでもないし、だとすればトライまでに時間がかかることは必至である。わずかな時間でトライを奪わなければ勝ち目がない中で、タッチキックを選択したことは果たしてよかったのかどうか。
もしもトライを奪えていればこんなことは言わずに済んだのかもしれない。結果論じゃないかと言われれば確かにそうである。しかし、そうして突っ込みを入れられようとも、この判断が逆転劇への道を閉ざしたとみる僕の考えは変わらない。
あの場面でタッチキックを選択することでは決して作られないものがある。それは「イケイケムード」である。大逆転を起こすには会場中を味方にするような異様な雰囲気が必要となる。会場中が逆転劇を期待しているときに作られるあの独特な空気は、グラウンド上の選手たちに紛れもなく伝染する。特に学生ならばなおさらである。スラムダンクで山王工業戦を前に安西先生が警戒していた、「あれ」である。合理的な理論や戦術を超越したところで醸成されるこの空気は、あの場面でタッチキックを選択した時点で雲散霧消する。
「何が何でも逆転する!」という意思のもとにペナルティからちょん蹴りでどんどん仕掛けていく。その強気な姿勢に観客はどんどん感情移入する。そこでビッグプレーが一つでも起これば一気に流れは同志社大学に傾き、生駒下ろしが吹き荒ぶ花園に陣取る熱心な同志社ラグビーファンの熱き思いが思念となって会場中を包み込む。そんな時に奇跡は起こるものだ。逆にいえばそんな空気の中でしか奇跡は起こらない。
少々、熱くなってしまったけれど、たぶん勝てる気がしなかったというのは、勝負所でのプレーの判断に肩すかしを食らってばかりだったことが挙げられるだろう。そのうちで決定的だなあと感じたのが、あのペナルティからの判断だった。うーん、悔しい。
それにしてもラグビーの質がすっかり変わってしまったなあと思う。僕の好みからすれば、キックばかりで面白くない。流れるようにパスがつながってウイングがトライとか、フォワードの突進からオフロードパスがつながりまくってトライとか、そんなシーンが見たい。この試合に限らずとも言えることだが、最近のBKは飛ばしパスに頼り過ぎだと思いませんか?ハンズでリズムよくパスをつなぐシーンを観たいと願っているのは僕だけなのかなあ。
関西リーグでは17-45で敗戦。すっかり水をあけられた感のある関学相手にどこまで粘れるか。ここまでの両校の戦い振りからすれば思いのほか実力の差がある。関学の方が一枚上手だろうなと思いつつ、試合開始のホイッスルが鳴り響いた。
開始1分で同志社が先制トライ。願ってもいない展開に少し興奮する。もしかすると底力が発揮されて勝ってしまうかもしれないという期待が膨らんだ。1シーズンで2度、試合をするというのは、勝負論として考えればとても面白く、1戦目で勝利を収めたチームは無意識的にプレッシャーを受けるものである。というのも「勝って当たり前」という気持ちがどうしても芽生えるからである。そこに隙が生まれ、「一度負けてるんだから駄目でもともとだ」と開き直ってぶつかってくる相手に敗戦を喫するという展開は、どのスポーツにも見られる現象だ。こうした図式が成り立つのならば、この試合の行方はわからない。
リベンジという淡い期待を抱かせるには十分な開始早々のトライであった。
だがしかし。関学は地力に勝った。間もなく逆転を許してからノーサイドの瞬間まで、一度たりとも勝てる気がしなかった。残り時間と点差を考えればきわどい時間帯もあるにはあったが、逆転劇が起こるとはどうしても思えなかった。なぜそのように感じたのかはよくわからないが、とにかくそう感じたのである。
なぜそう感じたのかについては、思い返してみれば心当たるポイントがいくつかある。たとえば、残り時間がわずかな中で少なくとも2チャンスは必要な場面でのペナルティ。そのペナルティで同志社はタッチキックを選択した。モールで押し込んで確実にトライをとるという狙いがあったのかもしれないが、それまで特段モールで優位に立っていたわけでもないし、だとすればトライまでに時間がかかることは必至である。わずかな時間でトライを奪わなければ勝ち目がない中で、タッチキックを選択したことは果たしてよかったのかどうか。
もしもトライを奪えていればこんなことは言わずに済んだのかもしれない。結果論じゃないかと言われれば確かにそうである。しかし、そうして突っ込みを入れられようとも、この判断が逆転劇への道を閉ざしたとみる僕の考えは変わらない。
あの場面でタッチキックを選択することでは決して作られないものがある。それは「イケイケムード」である。大逆転を起こすには会場中を味方にするような異様な雰囲気が必要となる。会場中が逆転劇を期待しているときに作られるあの独特な空気は、グラウンド上の選手たちに紛れもなく伝染する。特に学生ならばなおさらである。スラムダンクで山王工業戦を前に安西先生が警戒していた、「あれ」である。合理的な理論や戦術を超越したところで醸成されるこの空気は、あの場面でタッチキックを選択した時点で雲散霧消する。
「何が何でも逆転する!」という意思のもとにペナルティからちょん蹴りでどんどん仕掛けていく。その強気な姿勢に観客はどんどん感情移入する。そこでビッグプレーが一つでも起これば一気に流れは同志社大学に傾き、生駒下ろしが吹き荒ぶ花園に陣取る熱心な同志社ラグビーファンの熱き思いが思念となって会場中を包み込む。そんな時に奇跡は起こるものだ。逆にいえばそんな空気の中でしか奇跡は起こらない。
少々、熱くなってしまったけれど、たぶん勝てる気がしなかったというのは、勝負所でのプレーの判断に肩すかしを食らってばかりだったことが挙げられるだろう。そのうちで決定的だなあと感じたのが、あのペナルティからの判断だった。うーん、悔しい。
それにしてもラグビーの質がすっかり変わってしまったなあと思う。僕の好みからすれば、キックばかりで面白くない。流れるようにパスがつながってウイングがトライとか、フォワードの突進からオフロードパスがつながりまくってトライとか、そんなシーンが見たい。この試合に限らずとも言えることだが、最近のBKは飛ばしパスに頼り過ぎだと思いませんか?ハンズでリズムよくパスをつなぐシーンを観たいと願っているのは僕だけなのかなあ。