平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

寂しさをスパイスに3人で考える、ちゅうことか。

郵便局からクリーニング屋さんを経て銀行に立ち寄る。生活の上で必要な用事のあれこれを済ませてから大学に来ると、まず手につけたのは秋学期の成績つけ。秋学期はほとんどが実技だったので、ものの3時間ほどで5コマ分をつけ終える。ホッとする。次年度の2コマ分のシラバス作成を残してはいるものの、事務的な作業はこれにて一件落着。これで論文にかまけることができるかと思うと、ちょっとうれしい。2月末までには出前講義も、スキー実習も残ってはいるが、それはそれ。気分が軽くなればそれだけで片付いてしまったようになるから誠に不思議である。

春休みに入ると、とたんに生活リズムがゆったりする。切羽詰まるものからの解放は心を穏やかにするのと同時に、世界に向く意識をも静かにさせる。周辺のざわめきがなくなることはそれだけ自分自身と対話する時間が増えるわけで、それは心地もよくもあるけれど寂しかったりもする。

授業がなければ学生と話す機会はなくなるし、ラクロス部の学生たちとは週に1回は顔を合わすにしても、通常の生活から比べれば激減する。また、会議もそんなに頻繁にはないわけで教職員の方々とも会うことはなく、研究室の中で誰ともほとんど会話をせずに一日が過ぎることも多い。それだけ研究に没頭できるのだから好ましくあるし、慌ただしく過ぎゆく日常にいたときには渇望していた時間でもあるのだが、いざそうなると物足りなくなったりもするのが人情というものなのであろう。ひとえにわがままなだけかもしれないけれど、まあいい。

「ないものねだり」でなにかを手に入れても、またすぐに新しいなにかを求めて欲が出る。言わば、「ないものねだり」は連鎖してゆくものなのだが、今の自分にないものを求め始めるとこの連鎖は果てしなく続いてゆくと思われる。お金もないしユーモアもない、あれもないしこれもない……というようにして続けていくと、この「ないものリスト」は膨大な数になる。おそらくは無限だろう。そしてそのリストを読み返してみれば途方もなく落ち込んで大変な精神状態になるだろう。おーこわ。

だからそんな馬鹿げたことなどしたくはないし、ぜったいにしない。だからといって自分にあるものを列挙してゆくのもなんだか気が引けるし、それは自慢げに自らを語ることになりそうだからで、なんだかとても格好が悪い。実際のところはそんな列挙するほどに自分にできるもの(こと)なんてないわけだから、結局のところ同じ内容の繰り返しになってしまい、そうして行き着いた先は、居酒屋のカウンターで酒を煽りながら若かりし頃の思い出を繰り返しこぼすようなことにもつながっていく。

「ほな、どないしたらよろしいねん」ということになるが、自分にないものを指折り数えるこんな気分の時は、「指折り数えているこの自分がどれだけ哀愁を漂わせているかに酔ってしまえばいい」のだと思う。坂道を転げ落ちるようにどうにも卑屈になっていきそうな気配を感じた時は、こうした心構えでもって歯止めをかけるのがいちばんである。ようするに笑い飛ばせばいいのだよ、そんな自分を。あるものをオウム返しのように繰り返すよりも、この笑い飛ばす姿勢でいる方が数段に格好がよいとボクは思う。

んで、そうした笑い飛ばすうちに、自分にないものできないことを自覚しながらも気にせずに笑い転げているうちに、自分にしかできないことがほのかに浮かび上がってくる。おぼろげながらに把握される。それが意欲の源泉になり、はたまた明日への活力にもなる。意欲なるものはおそらくこうして芽生えてくるのではないだろうかと思うのである。

ここまで書いてきて感じるのは、やはりひとりになってものごとを考えるというのは大切だということだ。冒頭あたりでちょっと寂しいなんて書いたけれど、その寂しさが思考をする上で実によいスパイスとなるということだろう。それを今日は実感した。思考に耽るというのはまさにこういうことなのだ。寂しさは誰かの存在を求める。だから、思考に耽っている最中にも絶えずその誰かを求め続けているわけであり、そこでは3人による思考会議が行われていることになる。「思考に耽るボク」と他者と「今の今を生きるボク」との3人。他者がいなければボクと<ボク>のやり合いとなり、中身が煮詰まって二進も三進もいかなくなるけれど、そこに他者がいることで滑らかになる。この他者が誰なのかというのはまた難しい問題なのだけれど、とにかく「考えるボク」と「生身のボク」だけではいくら想像力を働かせて考えても妄想の範囲を超えることはないように思う。

いささか思弁的な内容になってしまったが、久しぶりにこうして指が動くままに書いてみればこのような内容になった。今のボクはとても心地がよい。遠き過去に置き去りにしてきたかのようなこの感覚がここにきて甦ったのかと思うと、とてもうれしい。「書く」ということから愉悦を引き出せないでいたここんところからすれば、紛れもなく前に進んだ印象である。

まっ、とにかく、しばらくはのんびりとしたペースで思考に耽りまくる日々を過ごしてみたいと思う。あくまでも3人のあいだで。

さてと、今から【富義】で豚カツでも食べて、風呂に入って黒川博行『螻蛄』を読んでから寝るとするか。