平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「お酒とのつき合い方」身体観測第88回目。

 酒席を共にした初対面の方からは必ずといっていいほど「たくさんお酒を飲まれるのでしょうね」と訊ねられる。私を体育会育ちの人間だと見込んでの発言だろうが、返答にはいつも窮してしまう。飲めないことはないが、浴びるほど飲むわけでもない。好きかと言われれば好きだが、晩酌を欠かさないほどでもない。そもそも酒が好きなのか酒場が好きなのかがよくわかっていないし、おしゃべりが楽しいから酒を飲んでいるといえなくもない。

 この質問の背景には「体育会的な飲み方」へのイメージがある。その場の最年長がジョッキを空にすれば一同全員がそれに倣う。先輩に注がれた酒は一気に飲み干す。乾杯後は文字通りに「杯を乾かす」。注いでは注がれる光景に乾杯コールが乱れ飛ぶ。

 競争的で強制的な酒席で揉まれてきたのだからたくさん飲むに違いない。そう推測されての質問なのであろうが、すべての体育会出身者が酒を飲めるわけではない。中にはほとんど下戸な人もいて、飲めないながらも食らいついているのである。この涙ぐましい努力はどうかご理解を頂きたい。

 幸いなことに私はそこそこ飲める方だったので、体育会ルールの下で飲む酒がそれほど苦ではなかった。自制心さえあれば、味わうよりも競うように飲む酒も限定的には心地よい。ある種の一体感が生まれ、夜も深まり酔いが回る頃になると自然発生的に誰かがラグビー話に火を点けて談論風発となる。後輩が先輩をつかまえて持論を語ることも許される、そんな雰囲気が私は好きだった。本当の意味での無礼講がそこにはあった。

 今は人それぞれのペース配分に配慮しながら酒を注ぎ合っている。のんびりと酒を飲むことの心地よさの陰から一抹の物足りなさが顔を覗かすという心境だが、それを説明するのが面倒なので「それなりに」と答えるようにしている。

<10/02/09 毎日新聞掲載分>