平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ツイッター、デビュー。

ラクロス部OG総会に顔を出すため土曜日なのに研究室にいる。なんだかすっきりとしない空模様に、背中から腰のあたりが何やら不穏な感じがするのはいつものことである。こんな日は肩甲骨のところと腰のあたりにカイロを貼ってなんとかやりすごすようにしている。ちょうど先週の学会のときも調子が悪かったのでカイロをぺったり貼っていたのだが、ジャケットを脱いだ時に学生たちに気付かれて笑われてしまった。迂闊だった。

身体というのは誠に正直なものである。これまでどのような態度で自らの身体に接してきたのか、それを振り返れば今このような状態にあるのがまさに必然だよなあと思えてくる。痛みや不調は不意に訪れる。だから身体は不思議なもので複雑極まりないと思っている人が多いが、実はそうではない。身体そのものが複雑なのではない。「身体」について考えるときの認識が、ありとあらゆる方面からの科学的なるものの影響を受けて複雑化しているに過ぎない。意識の射程を人類の誕生に遡るまでに広げてみれば、それほど身体は複雑ではない。至ってシンプルである。が、その考えに基づいて行動するのに少々骨が折れるから、ややこしいと考えてしまうのである。ボクはそのように考えている。

さてと、あまり時間がないので今日のところはさらりと引き上げたいが、ひとつここで報告して起きたことがあって、実は昨夜からツイッターを始めている。きっかけはアオヤマさん(ボクが新しいことを始めるきっかけをくれるのはいつもアオヤマさんである。合掌)。「ウチダ先生がヒラオ君に呼びかけてはるけれどよかったら」と声をかけられたら、弟子のボクとしては応えずにはいられない。ボクにとっては、興味がありつつも一線を越えられずにいたツイッターだったが、こうして飛び込むことにしたのである(大げさだな)。以前、シミズに誘われたのだがその時は無碍に断ってしまった(すまぬ)。

感覚的にどういうものかよくわからず、いまいちピンときていない状態なので、しばらくはよちよち歩きな感じでつぶやいていくことにする。

というわけでそっちの方でもどうぞよろしゅう。