平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

長いあいだお疲れさまでした。

シンポジストを務めた日本スポーツ運動学会が終わり、ホッと一息をついている。大会テーマの「現場に生きるスポーツ運動学」に沿ってボクが話をしたのは、全く未経験のスポーツを教える際の試行錯誤についてである。本校ラクロス部のお気楽コーチぶりを学問的に再構成して話をした次第である。明日(3月9日)掲載の身体観測にこのときのことを書いたので是非とも読んでほしいけれど、概ね反応はよかったと自負している。終わったことにも受けがよかったことにもホッとした。ふう。

スキー実習が終わって一息ついて、しかしながら1週間後にこの学会が控えていたのでそれほどのんびりしていられなくて、気忙しい時間の流れに身を置いていたのだけど、これでひとまずは気持ちを緩めることができる。論文の執筆や次年度の授業の準備と、3月中にやるべきことは山積しているけれど、このふたつは研究室に籠ってサクサクと本を読んだり文章を書いたりすればいいだけで、ひと前に出て話をしたり誰かとのかかわり合いの中で為すべき仕事ではないから、その点では気が楽である。論が展開せずに苦悩することは多々あるだろうし、授業の準備においては語り出しのキーが決まらずに悶々とすることはあるだろうけれども、それはそれで仕方のないこと。ボクはどちらかといえばこちらの方が気が楽なのである。人まえで話すのは嫌いではないけれどやはりそれなりに疲弊する。

さて昨日。2日間にわたった学会が終わってすぐに大阪に向かう。高校時代の恩師、マッシュこと西坂先生の退任パーティーに向かったのである。2次会から顔を出すとすっかりデキあがった状態の先輩後輩がマッシュを囲んでいた。懐かしい面々と次々に挨拶を交わしながらいつの間にやらすっかりと酔っぱらい状態になる。あのような場でシラフでいることなど到底できやしない。学会でひと仕事を終えた安堵感が酔っ払うスピードに拍車をかけて、量的にそれほど飲んでいないにも関わらず久しぶりにフラフラになった。

どれくらいフラフラになったのかというと。

3次会を終えて電車に飛び乗るとすぐに眠りに落ちたらしく、ふと気がついて窓の外をみたら「尼崎」の文字が目に入った。反射的に「乗り越してしまった」と思い電車を飛び降りて意気消沈していると、「あれ?なんかおかしいぞ?」と思い始める。そう、ボクは三ノ宮から電車に乗ったと勘違いしていたのである。だからあわてて飛び降りたのだが、本当は大阪から乗っていて、まだ「尼崎」だった。それから10分以上もホームのベンチで次の電車を待つ破目になったのだった。

ボクはマッシュのもとでラグビーにのめり込んだ。厳しいだけの指導だった気もするが(笑)、しかし中学高校6年間を通して身体に染みついたその教えがなければ今の自分はいない。そして、高校1年のときにツルに叱られていなければもしかするとラグビーをやめていたかもしれない(今となっては先生を指して“マッシュ”や“ツル”と書くことに後ろめたさを感じなくなった。むしろ親近感を抱いてそう書くことができる。ボクも成長したものだ)。さらには、先輩方が積み上げた歴史があったからこそ安心してラグビーに邁進できた。そしてまたボクも後輩たちに「なにか」を残したのだろうし、残しているのだろう。ボクが残した「なにか」をうまく表現することはできないけれど、こうした連なりが伝統となり、一つのチームが連綿と続いていく。ボクがかつて所属したチームが現在も存在していて、それがこれからも続いていくだろうという予感を抱くことができるというのはなんとも幸せなことだ。髪の毛が薄くなったりして当時の面影が失われている先輩後輩もいたし、おそらくはボクも当時の面影を残していないメンバーの一人だろうが(現役時からは6キロ痩せたし、度のキツイ眼鏡もかけてるし)、あんなふうに集まってバカ話に花を咲かせることができるよろこびは見てくれがかわったところでびくともしない。

新聞読んでるぞと声をかけてくれる先輩の言葉に表情がほころび、後輩からニシジマさんと呼ばれるたびに懐かしさがこみ上げてくる。傍からみればアホみたいな集団かもしれないが、ボクにとってはかけがえのない「場所」である。あー、おもろかった。