平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

新年度早々、楽しさに気付く。

4月に入って自ずと気持ちが切り替わった。入学式が終わりたくさんの新入生と対面したこともあるけれど、それよりも学内の雰囲気ががらりと変わったことが影響している。クラブに勧誘しようと上級生たちが意気揚々とビラを配り、戸惑いながらも恐る恐るビラを受け取る新入生の仕草を初々しく感じる。あれから1年経ったのか~と、しみじみする。この1年がボクにもたらした変化は?あたりまえだけど自分自身ではよくわからないが、生活にリズムが生まれたことで少しだけ慣れてきたかなという手応えはある。

話は変わるが、ついこの前によくわからないままにとにかく始めてみたツイッターだが、ここにきてようやく楽しくなってきた。今ボクが感じている楽しさについては上手く表現できないのだけれども、何をつぶやこうかと考えながら生活している自分がけっこう好きなのだ。生活のどの部分を切り取って描写したらおもしろいかと考え、タイムリーに考えていることをそのままブツブツ羅列することを画策し、考えることなく感じるままに言葉を並べてみてもいいかなと思案している。レスポンスがある場合もあればない場合もあって、そのなんていうか、ゆるいつながりがとても心地よい。

最初の方は、みんなのつぶやきには必ず反応せなアカンと思い過ぎていたので、めんどくさいと感じることが多かった。誤解しないでほしいのだが、反応しなくてもええやんと開き直ったわけではなくて、反応してもしなくてもいいという、ボクとあなたの関係がすでにできあがっているかのように思わせてくれる雰囲気がとてもよいのだ。「勝手につぶやいているのだからほっといてよ」というちょっとひねくれた開き直り方ができるところもなんだかよい。

で、実はこうしたつぶやきにはネタ元が定かではないアイデアが含まれてたりする。そこがひじょうに楽しい。論理的でないところからふっと立ち上がるひとつのアイデアが、数あるつぶやきたちの中にはある。その言葉につられてまた違うつぶやきがふっと立ち上がる。現実世界の人たちが限りなく杓子定規になりつつある中だからこそ、人間的な共感を呼ぶような言葉でつながり合う関係はとても貴重だなと思う。

関係が立ちあがってから言葉が生まれるのではなくて、言葉が先に生まれてから関係が立ちあがる。ということなんじゃないかな。

それに現実世界ですでに親密な関係にある人たちとの間には、またそれとは違った結びつき方でつながれる。その新鮮さがとてもよいし、普段はそんなに頻繁に顔を合わすことができない人がどこで何をしているのかを知ることで、ホッと安心したりもする。「あっ、みんながんばってるんだ」と感じられるからボクもがんばれるわけだし、「こんなこと考えてるんはボク独りじゃないねんや」と勇気が湧いたりもする。

それこそ現実世界にいてバーチャルな言動を繰り返すだけの人と会話するよりも、バーチャルな世界で現実的で人間的なつぶやきを読んだりレスポンスしてる方が、精神衛生上はよろしいような気がする。

と、なんだかまとまりがなくなってきたが、とにもかくにもツイッターのおもしろさというものに気付いたのである。これからもブツブツとつぶやいたり、ときには語ったりしていこうと思う。