平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「大学時代を振り返って」身体観測第91回目。

 久しぶりに大学時代の同級生で集まった。当時ヘッドコーチだった白川佳朗氏を囲んでの同窓会は、当然のようにラグビー談義に花が咲いた。関西リーグ5位という同志社史上最低の戦績だった僕たちの学年を、白川さんは「5位チーム」と揶揄する。からかいの裏側に悔しさがにじむこの言葉を耳にすると、僕たちは瞬く間にあの頃にタイムスリップする。まだ現役を続けるヤツ、警察官として街の安全を守るヤツ、大学や社会人チームでコーチを務めるヤツら。歩みゆく道はてんでバラバラの僕たちでも、あの頃の話をするときには厚かましくも二十歳そこそこの若造に戻ってしまう。

 3回生のときの全国大学選手権大会には準決勝まで勝ち進むことができた。だから「主力選手が残る今シーズンは優勝を狙える」と周囲が寄せる期待は大きく、僕たちも当然のごとくそれを意識してシーズンに臨んだ。しかしながらシーズン序盤から怪我人が続出してチーム作りに狂いが生じる。いるべき選手がいるべき時・場所にいない。結局シーズンを通じてただの1度もベストメンバーを組めないという異常事態に陥り、それでも辛うじて出場した全国大会初戦で早稲田に敗退。こうして全国優勝の夢は潰えた。

 考えれば考えるほどに後悔の念が強まることは百も承知しているが、それでも心の片隅に居座って離れない思いが「もしもベストメンバーが組めていたら・・・」。この思いからチーム作りにおける僕たちの失敗が抽出できる。「ベストメンバー」の本当の意味は、現有戦力で編成された最強メンバーのことである。怪我人の復帰をあてにした想像上のベストメンバーを追い求めたことが間違いだったと、赤ら顔の白川さんは語った。

 僕たちは負けるべくして負けた。そう思えるようになった僕たちは、あの頃に比べて少しは大人になったということだ。

(10/03/23毎日新聞掲載分)