平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「この日の学校 in Osaka」に行く。

今、ボクの心の中はただならぬ混沌のうちにある。いてもたってもいられないという気持ちと、ただ立ちつくすしかないだろうという気持ちがごちゃ混ぜになっている。あまりに圧倒的な知性に出会って心底から尊敬の念が湧き起こるのと同時に、今の自分の体たらくにちょっと落ち込んでいるのが正直なところである。全身が波打つようなこんな経験は、今後の人生でお目にかかることはできないかもしれない。

言うなれば、現役時代にものすごいプレーを目の当たりにしたときのような衝撃に似ていて、しかもその選手がとてつもなく紳士的でフレンドリーだったような感じかもしれない。いや違うな。そんな表面的な感動では決してない。あまりの透明感に、ずっとその場に身を起き続けたいという衝動に駆られてしまうような、そんな感じ。帰りたくない。ずっと話を聴いていたい。もうすでに何時間も聴いているにもかかわらず、そんな気持ちにさせられてしまう。

昨夜はそんな気持ちを引きずりながら帰路につき、今朝からも湯あたりしたように身体がボーッとしたまま今に至っている。

さきほど、昨日甲野先生から教えていただいたとおりにしゅうかんRe:S(りす)オンライン連載を訪れ、森田真生氏との出会いについて書かれたものを読んだ。これは是非みなさんにも読んでみて欲しいので勝手にリンクを貼らせてもらうことにするが、こんな人間が世の中にはいたんだという驚きと安堵感は確実に私たちを幸せな気持ちにさせてくれる。それと同時に、その感動はそのまま自分に跳ね返ってきて「で、あんたは何をしてんねん?」と突っ込まれてアワワとなるだろう。少なくとも今のボクはアワワとなっているが、そこからどうするかがとてもとても大切なのだろうと思う。

何を考えてそれをどうやってかたちにするのかについて、腰を据えて取り組んでみようやないか。そう感じればその先には「人がいかにして生きていくべきか」という問いへの答えが待っている。そしてその自分だけの答えを探す旅そのものが、多くの人たちに「人がいかにして生きていくべきか」を問いかけることにもなる。だからその旅にどれだけ没頭できるかで、人間の深さが決まるのだとも思えてくる。

この旅にはおそらく終わりがない。だから答えはないもかもしれない。答えらしきものがあるという予感だけが余韻として広がるだけかもしれない。でもそれでいいのだと思う。

興奮のあまりなんだかよくわからない文章になってしまったけれど、うまく表現できないほどに興奮しているということさえ伝わればそれでいい。

書き逃げ、御免。

しゅうかんRe:S(りす)オンライン連載「甲野善紀 ほころび」第8回