平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「アスリートとしての自覚」身体観測第92回目。

 ラグビー時代のある後輩と「オレらの世界には心から尊敬できる人物って少なくないか?」という話になった。圧倒的なパフォーマンスを発揮する人物はたくさんいる。自分にできないプレーをいとも簡単に披露する人物には憧れを抱くも、心から尊敬できるかどうかと問われればどうしても疑問符がつく。プレイヤーとしては憧れるが尊敬の念を抱くには至らない。散々思いを馳せた挙げ句、人生の目標となり得るような人物に二人は出会えなかったのではないかという結論に落ち着いた。

 このことについてしばらく考え込んでいると、音楽に携わる方の「アスリートとしての質に比例して成熟した社会人としても尊敬できる人が日本の場合もっと多くてもいいのにと感じています」という言葉を思い出した。アスリートとしてアスリートに接してきた中での僕たちの経験と、スポーツ界の外にいてアスリートに抱く思いがここにリンクする。

 スポーツ的パフォーマンスの向上と人間的成熟は必ずしも一致しない。この信憑は社会に蔓延している。新聞やテレビに溢れるアスリートの言葉が深みと味わいに欠けることからもそれは明らかだろう。真に卓越した人物はどの世界でもさほど存在するわけではないことは理解しているつもりだが、それにしてもスポーツ界には少なすぎる。

 誤解しないで欲しいのだが僕たちはラグビーを愛している。だからこそこの現実をとても寂しく思う。この現状を打破するためにまずは次のことを実践してはどうだろう。ただ結果を出せばいいなどと割り切らず引退後にどう生きるかを考えながら競技に取り組む。メディアへの受けを気にせず、子どもたちの目に自分はどう映っているのかを意識する。スポーツが社会に及ぼす影響は年を追うごとに大きくなっている。夢や感動の安売りはそろそろ終わりにしたい。

<10/04/06毎日新聞掲載分>