平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「子どもは日に日に成長する」身体観測第93回目。

 最寄り駅の階段で微笑ましい光景をみた。まだ歩くのも覚束ないほどに幼い男の子は、足を大きく振り上げながら一段一段ゆっくりと階段を上っていく。その傍らで転びそうなときはいつでも手を差しのべようと構えるおじいちゃん。温かな視線が注がれているなど露知らず、淡々と足を繰り出してついにはホームに辿り着く。1人で上り切った達成感から途端に駆け出す男の子。おじいちゃんはそれを諫めつつ後ろから着いていく。何気ない休日の一コマに心が和む。

 普段は通り過ぎるだけの駅の階段。通勤時は眠たい目を擦りつつその日にすべき仕事を思い浮かべながら、友人との食事に向かう時は今日こそ飲み過ぎには注意しようと叶わぬ決意を抱きながら、いつも上の空であっという間に駆け上がる。

 でも子どもは違う。わずかに足を上げるだけで済む大人とは違い、ほとんど腰まで達する段差を乗り越えるには目一杯に足を振り上げなければならない。瞬間的に片足立ちになることで不安定さが生まれ、これまで味わったことのない感覚に戸惑って最初は転んでしまうこともあろうが、それでもめげることなく何度も挑戦するうちにやがてコツがわかってくる。「なるほど、こう動けばよいのだな」という手応えが得られる。この手応えを積み重ねることで培われていくのが身体能力であり、つまり僕たち大人が考えごとをしながら通過するだけの駅の階段も、子どもにとっては自らを成長させる貴重な契機となる。

 僕も幼き頃はこの男の子のように、家族に見守られながら身体を目一杯に使っていたに違いない。砂をいじり、すべり台をすべらずに上り、横断歩道の白い部分だけを踏んで渡る。そんな落ち着きのなさを受けとめてくれる家族のおかげで、今日の僕がいる。長らくラグビー選手でいられたことを振り返れば改めて感謝の念が湧いてくる。

<2010/04/20毎日新聞掲載分>