平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「W杯の思い出」身体観測第94回目。

 来月11日に開幕を迎えるサッカーワールドカップの日本代表メンバーが発表された。川口能活選手の選出や本線での戦い方などの話題が各メディアを賑わせている。こうした報道に触れて、ふと自分が出場したときのことを思い出した。サッカーに比べればはるかに規模は小さくメディアからの注目度も低いラグビーだが、大会前の独特な雰囲気は共通している。

 とは言うものの冷静に当時を振り返ればそれほど思い入れはなかった。ただ楽しむために楕円球を追いかけてきた結果たまたまW杯前年に代表候補として招集されただけで、ミーティングや練習メニューなど何もかもが新鮮に感じられる環境に何とかついていくのに必死だった。国家を背負うことよりもまずは一選手としての成熟を果たさなければならない。さらには脱臼癖のある右肩を抱えていたので、思うようなプレーができないことに苛立ちを抱えていた。正直なところW杯出場よりも自信の回復が先にあった。

 ただ周辺はとても騒がしかった。練習には毎回たくさんの記者が取材に訪れた。学生時代の友人、職場の上司や同僚からは「あのW杯」という言葉を何度も聞いた。それほど価値のある大会なのかとどこか他人事のように感じていた覚えがある。これほど呑気でいられたのは初めての代表経験だったからというのもあるだろう。もしかするとレギュラー選手になれば国家を背負って立つことへの並々ならぬ決意が湧いてくるのかもしれないが、僕にはよくわからなかった。

 その重みを実感したのは現地に乗り込んでからである。国同士の威信をかけた大会が醸し出すあの雰囲気は今でもうまく言葉にすることができそうにない。7万人を超える観客に見守られながらの試合は後にも先にもあのときだけだ。

 あれからもう10年が経った。とても懐かしく、そして大切な思い出だ。

<2010/05/18毎日新聞掲載分>