平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「こびとさん」を大切にする宣言。

パソコンのデスクトップに張り付けてあった「こびとさんを大切に(09/10/03)」(@内田樹の研究室)がふと目にとまったので、おもむろに読み返してみた。そこにあった一文にドキンとした。 
__________
スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。「自分にできること」はいつだってできる。そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
__________
「あ、オレスランプなんやわ」と今の自分の状態がすべからく腑に落ちた。理由もわからずもやもやとした違和感を抱えて「今の自分にできることはなんだろう」と必死に考えていたことに思い当たったのだ。幾度も幾度も書いているけれど(「それだけ書きたくなること」というのはどこかうまく呑み込めずにいることの証左なのだなと開き直って書くが)、現役を引退したことでこれまでのボクを根元から支えていたラグビーがなくなった。ほとんど自分=ラグビー選手だっただけにそこから慌ててラグビーの代わりとなるものを模索し始め、周りの方々の手のなる方へ歩みを進めていき幸運にも見つかったのが大学教員であった。だから今のボクがいる。研究者として生きていこう、学生たちを教育していこうという気持ちにさせていただいたことにとてもとても感謝している。

なにを隠そうボクは、ともかく先へ先へと行きたい性質である。体育の時間は、先生が模範を示す動きよりもさらに一歩先の動きをしてやろうと躍起になっていたくらいで、だから、「ラグビーができなくなった自分にはいったいなにができるのだろう?」という問いは、引退してからずっとボクの心の中で反芻され続けていたのだと思われる(「思われる」としたのはそれほど強く意識していたわけではないからだ)。早く期待に応えよう、一刻も早くその「なにか」を見つけなければならない、と焦ってもいた。大した研究実績もない癖に今の自分を上から下まで点検し、どうにかして「できること」を絞り出そうとしていた。

因果論的な思考は「できること」を理路整然と考えれば考えるほど形作られる。そんな思考から生まれた言葉はどこか予定調和な雰囲気を醸し出す。予定調和……書き手としてのボクがもっとも忌避していたはずのものだ。なのにいつのまにかそこにちょこんと居座っていた。自分のテクストを改めて吟味してみたら「なんてしょうもないことを書いているんだオレは」と落ち込むことが続いて、それだから書くことに後ろ向きになるのは必然であった。

それをスランプというのだ。そしてそのスランプをウチダ先生は、『「自分にできるはずがないのにかかわらず、できていたこと」ができなくなったこと』という。この感覚は“ものすごようわかる”。そう、ボクはこの字義通りにスランプだったのである。

そしてこのスランプはこびとさんを大切にしなかったから生ずるのだという(こびとさんについては冒頭に示したURLを参考にウチダ先生が書いたものを読んでほしい。10月3日の分だから少しスクロールすれば辿り着きますので)。なるほど思い当たる節がいくつもある。あまりに格好が悪いことだらけだからそれは追々書いていくことにするけれど、スランプ中のボクはおそらくバガボンドの武蔵が背負っている「我」が身体の周りを取り巻いていたはずだ。「ワレが、ワレが」の境地に住まわっていて、自ら敵をつくりだしてはその闘いに疲弊していたのである。

だから単純なボクは今この瞬間からこびとさんの存在を強く意識しながら生活を整えていくことにした。さらに、ウチダ先生に倣ってボクの中にいるこびとさんはどんな性格なのかなあと考えてみることにした。労わるためには少なくともどんなヤツなのかを知っておかねば。

ボクの中にいるこびとさんは、
概ね陽気で明るいのだけれど、細かいことを気にしはじめると自分一人の世界に引きこもって考え込む。そういう状態に陥ると、誰かと一緒に過ごす状況では遠慮が過ぎて優柔不断になる。そしてその状態が長く続くと、正義を貫くような正論をかざしてさらに敵をこさえてしまう。

ホントにめそめそしたヤツである。

でもね、背中をバシっと叩いて少しばかり緊張感を持たせてやるとわりと陽気でよく笑うし、話すときも書くときもあとからあとから言葉が湧いてくるし、眉間にもほとんど皺が寄らなくなる。

こびとさん、ごめんなさい。どうやらいつの間にか蔑ろにしていたようです。これから気をつけます。まず生活を整えて「背中をバシッ」と叩いていきますので、なにとぞよろしくお世話になります。

さて明日の講義の準備をはじめよう。