平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「為せば成る!」身体観測第104回目。

 長らくサッカー指導をしている人からこんな話を聞いた。小学校で始めた選手と大学から始めた選手とではボールの扱い方の滑らかさに大きな違いがあり、その差はどれほど練習したところで埋まるものではない。日常生活において「足を使って何かをする」という動作がほとんどない以上、心身の発達が目覚ましい幼少期において集中的に足を使うことは能力の向上に大きく影響するのだという。

 言われてみれば確かにそうだ。特殊な仕事に就いていない限り、私たちの日常には「足を使って何かをする」という動きは見当たらない。せいぜい歩くか走る、もしくは自転車を漕ぐ、あるいはアクセルやブレーキを踏み込むといった程度である。手を使った動作がありふれているのに比べれば、足はほとんど移動にしか使われていない。

 つい先日、サッカースクールの練習風景を見ていて、見事なまでのボールさばきを子どもたちはいとも簡単にやってのけていた。膝にまで達するほどのボールを自在に操る姿が妙に滑稽で、表情が緩みながらも目が釘付けであった。なるほど、ここまで精妙な足さばきができるようになるのかと、あのときの話を体感的に理解することができた。

 サッカーだけでなく、どのスポーツでも早期教育の効果は囁かれている。しかし、僕はこの考え方には素直に同意することができない。指導者の立場からすればむしろ否定する立場を貫こうと思っている。なぜなら既に成長を遂げた選手は、なるべく幼い頃から始めた方が有利だと知らされても為す術がないからである。時間が巻き戻らない以上はどうしようもない。努力を持ってしても超えられない壁を選手に感じさせることは、指導者としてはどうしても回避せねばならない。

 認めるけれど認めない、という態度で「為せば成る」と言い続ける指導者でありたいと思っている。

<10/10/05毎日新聞掲載分>