平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

根拠のない自信、辻風黄平、ブログとツイッター。

茂木さんの連続ツイート、「根拠のない自信」を目覚めの布団の中で読んですっかりやる気がみなぎる。これまでにも茂木さんの書いたものであったり、他の方も似たような考えをもお持ちであることは知っていたのだけれど、今朝ほどに腑に落ちるようなことは今までなかった。記憶が定かではないけれど、最初にこの言葉に「おっ!」とキタのは、島耕作シリーズを書いた弘兼憲史が雑誌か何かのインタビューで口にしていたのを読んだときだったと思う。松下電器産業を退社して漫画家に転身した氏は、退職後1年ほどは映画ばかり見ていたという。その様子を知る周りの人たちの心配をよそに、氏は「根拠も何もないのだけれど、なぜだかわからないが自分はいいものを作ることができる」という確信があったらしい。そのインタビュー記事を読んだのは確か20代の前半。どこにどう共感したのかは今から思い返しても定かではないけれど、とにかく「へー、そういうもんなんだな」と妙に納得した覚えがある。

この共感・納得にはそれこそ何の根拠もない。ただただ共感し、納得したわけだから、あのときのボクはまさに「根拠のない自信」を持って弘兼氏の言葉を飲み込んだわけである。もしもあのときに「根拠のない自信」なんてあるわけがない、そもそも自信という言葉の意味からしても矛盾してるわけで…、とかなんとか考えつつ根拠となる理由を探していれば今日のボクはいないわけだ。なんともややこしい解釈ですまないが、しかし本質的な意味を考えるとこういうことになるのだと思う。

なんとも奥ゆかしく、しかも人間としての営みになんと即した言葉であろうか。

というわけで今日という日は朝からやる気満々になり、読みたい本もあるし、来週の講義の準備やら研究会誌に載せる論文やら広報誌および新聞の原稿やらと、やるべきことが満載だからこれはいっちょ研究室でカリカリやったろかい、なんて家を飛びしたものの、いざ研究室についたらあれほど燃え上がっていたはずのやる気が失せている。いや、やる気が失せたのではなくて、頭の回転がどうも鈍い気がするのである。やる気はある、でも頭が回らない。いちばんイライラするパターンである。

でもこうした事態には以前ほどにうろたえたりイライラしたりすることはなくなり、身体の赴くままにまずは目についた本を読んでから事を始めようという習慣が身についた。そんな時によく手に取るのが『バガボンド』であり、内田先生と鷲田先生の著書、それに最近新たにこのラインナップに加わった『ポケット詩集』である。で、今日はどうだったかというと『バガボンド<13巻>』であった。

辻風黄平扮する宍戸梅軒と武蔵が戦うシーンを読み、唸る。武蔵との戦いに敗れ、最後の一太刀でほとんどの指を切り落とされた黄平の、「これでもう戦わなくて済む」という一言に胸が熱くなった。龍胆との生活をはじめた黄平の胸の内には、早く殺し合いの螺旋から降りなければならないという思いが芽生えていたに違いない。守るべき人、守りたい人を前にして、人は初めて優しくなれる。この人を守るためにはどんなことがあっても死ぬことはできないという感情は、これまで死をも恐れずに生きてきた男にとってはおそらく初めて感じたものに違いない。

しかし幼少時に親に殺されかけ、兄とともに憎悪の念を生の肥やしにこれまで生きてきた黄平は、人を殺傷する技術の高さに己の存在価値を見出していた。だから殺し合いの螺旋から降りることは、黄平にとって自らの存在が底抜けするような無力感に苛まれることを意味する。目の前の人を守りたいという気持ちが強くなればなるほどに「死ねない」という気持ちが強くなる。しかし死を賭した戦いでしか己の存在価値を見いだせない黄平は戦いの誘惑を拒めない。これまでに生の実感を得てきた戦いから離れようとすればするほどに、自らの存在価値が薄まっていくような気持ちになるのはだから必然である。

その葛藤のさなかに目の前に現れたのが武蔵であり、その武蔵との死闘で指を失い刀を握ることができなくなった。刀が握れなくなってからでないと殺し合いの螺旋から降りることができないほど、人を殺傷する技術、死を賭した戦いの場が辻風黄平という人間を支えていたのである。最期となった死を賭した戦いの場の一部始終を、愛する人が傍らにいて見守っている情況そのものがとても物悲しい。井上雄彦おそるべしである。

と、のめり込んで読んでもまだもひとつ頭の回転が戻ってこないので、久しぶりに自分の書いたものでも読んでみるかと、ちょうど1年前のブログを読み返してみた。すると、昨年のこの時期もブログをほったらかしにしていて、しかも鼻炎が止まらずに体調を崩していたことも判明。さらに遡って2009年の10月分も読んでみると同じような感じでちょっとびっくり。へー、この時期はそんな時期なのだなと妙に納得して、ブログほったらかしに対する罪悪感がちょっと和らぐ。

改めて感じるのは、いつもにも増してここんところはブログに向かう気持ちが薄くなったこと。これはやはりツイッターを始めたことと無関係ではない。ブログには、ふと頭を過ぎったアイデアにも満たない思いつきを少し煮詰めて考えないことには書き始めることができないし、そもそも書くという作業のうちにその思いつきがかたちになっていったりする。けれど、ツイッターにはジャスト思いつきの段階で発信することができる。発信できてしまうものだから、「ジャスト思いつきなひらめき」をそこから深めようという気持ちも薄れてしまって、いざ書こうという気持ちになりにくいのである。早く言葉にしてしまったことで失われる類の思いつきもあるのだなということにも気がついた。

これが半年ツイッターをしてみて感じたこと。だからといってどちらかに専念するというわけではなく、こうした経験をもとに今後はブログとツイッターの使い分けにチャレンジしてみようと思っている。それぞれにできることをもっと吟味していって、ゆくゆくは素敵なライフスタイルを確立していけたらいいなと思う。

最後に一つだけ報告を。今年はほとんど書くことがなかったラクロス部について。身体観測に書いたり、ツイッターでつぶやいたりしていたものだからすっかり報告したつもりになってました。すみません。結果だけを報告しておくと、1勝6敗の8位でリーグ戦を終えて2部リーグへの自動降格となってしまいました。来年度以降も頑張っていきたいと思いますので、みなさまどうぞ応援のほどをよろしくお願いいたします。

さて、仕事します!なんとなくできそうな予感。