平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「賞状を破るなんて」身体観測第105回目。

電話口で思わず耳を疑った。まさかそこまでゆき過ぎることはないだろうと思っていたからだ。でもこの見通しは甘かった。すべてとは言えないにしても、一部のスポーツ現場では旧態依然の根性論的指導がまかり通っているのはどうやら間違いなさそうである。

 事件はある中学のバレーボール部で起きた。優勝を目指してきたその中学は、惜しくも敗れて準優勝に終わる。目標には届かなかったにしても準優勝ならば胸を張ってもよい成績であろう。にもかかわらず2位という成績を不服とした顧問は、表彰式後に生徒たちの目の前で賞状を破いたのだという。

 決勝戦は迫りくる重圧に負けてミスも多く、本来の力が出せずに終わったらしい。顧問としてはそれを歯がゆく感じたのだろうが、やっていいことと悪いことがある。生徒だけでなく主催者側や対戦相手にも非礼に当たる、人として咎められて然るべき行為である。

 以前にこの中学の練習風景を見学したのだが、必死に声を張り上げる生徒たちに笑顔はなかった。スポーツは楽しいもののはずなのに、悲壮感すら漂わせながらボールに食らいつく姿は見ていて痛々しかった。

 顧問が一声かけるとその周りを囲むように集合するのが決まり事らしく、まるで磁石が砂鉄を吸いつけるように生徒たちは駆け寄る。少しでも遅れたらやり直し。だからいつ声がかかるのか、練習中はずっと気が気でない。あれでは夢中になってプレーすることなど到底できそうにない。 

 心身を極限まで追い込み、その苦しみを乗り越えさせれば潜在能力は開花する。しかし、これは兵士を訓練する方法になぞらえたもの。失うものは計り知れず、ゆき過ぎればただ苦しみを押しつけるだけの指導になり下がる。これまでの慣習を繰り返すだけで自らの指導スタイルを省みない指導者は、早急にご退場願いたいと思う。

<10/10/19毎日新聞掲載分>