平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

縁側に座りなおしまーす。

あっというまの11月。先月はほとんどブログを書かなかったが、これほど書かなかったのはおそらく初めて(ってホントか?)。まあでもいいか。このことを追求していけばまた長々としたブログになってしまいそうなので、やめる。

つい先日、焼鳥屋で偶然に出会ったMさんと飲んでいたときにこの「CANVAS日記」の話になった。ハードリーダーであるMさんは、腑に落ちたフレーズに出会ったときにはいつも声をかけてくれる。「あれ、わかりますわ―」という一言にいつもボクは清々しい気持ちになる。ボクが大学院のときからお付き合いがあり、一緒にお酒を飲む機会も多い。初対面のときに中村天風の話題で一気に盛り上がり親しくなったという方で、Mさんとの飲みはいつも熱い話に花が咲く。そんな方にあらためてこんなツッコミを入れられた。

「ここんところは長い文章が多いですねー。トップページにある“
縁側でお茶を啜りながら遠目で語るようにおっちらおっちらと…”じゃなくなってきてますよねー。短くてもいいからもっと気楽に書いてほしいなー」


ほんまや。とその時、思った。とにかく大層なもんを書かねばならぬと、いつかどこかの時点で決めたに違いない。たとえ無意識にであっても自分にかけたその暗示はずーっと自らを縛っていたんだなと、ハッと我に返ったのであった。そうやんな、個人のブログやもんな。もっと気楽にリズムよく書いてみるかと、そう思い立っての今日である。せっかく「呪縛」を解き放っていただいたのだから、書けなかった理由を思い返してクダクダと書くのだけは何としてでも避けるのだ。

それにしても無意識というのはおそろしいほど大きな影響を心に及ぼすものだ。本人が気づいていないだけにそれは厄介なのだな、うん。こうした無意識と上手く付き合う方法がまさにルーティンであり、一度始めたことを簡単にやめないということであり、意味を求めたり考えたりしないということであり、ドクターが言うところの「発生ベース」であり、こういったことなんだろうなあ。

ごちゃごちゃ考えずにまずは書く。確か少し前のブログにもこうした決意を書いたはずだが、気にしないでほしい。頭でわかったところですぐに実践できるほどボクは賢くない。と開き直っておいて、とにかく書くことにしたのだ。立ち止まって考え過ぎることなく、ある一定のスピードの範囲を保ちながら言葉を連ねていく。書き進めていく。そうしていくことにした。整えられた想いがまずあってそれを言葉に置き換えていくのではなく、言葉を重ねる行為を通じて自分が思っていたことや考えていたことは整えられる。そう思って書いてきたはずやんか、これまでは。なのにいつの間にか失念していた。というよりも、こうした真理は絶えず言葉にして反芻しておかないと忘れてしまうということだろう。あっ、そうか、反芻するためのブログだったということか。なるほど、納得。

自分が書いたものを読み返した時に「へー、ボクってこんなこと考えてたんや」という気付きが得られるように、まずは書くのだ。うん、書くぞ。おー。

という決意表明でした。なんだか新しいステージに一歩を踏み出す感じだな、うん。