平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

言葉と感覚の関係性、A.カレリンの言葉。

なにか新しいことを始めたくなり、『「無意識」を象る言葉たち』というカテゴリーを作りました。なぜ『「無意識」を象る言葉たち』というカテゴリー名にしたのかというと、この前の朝カルでも話をしたのですが、あることにボクが気づいたからです。そのこととは、ボクは引退してからずーっと「言葉と感覚の関係性」について考えてきたのだなという実感でした。

現役時代からずっと感じていたのは、指導者は肝心なところは教えてくれないのだなということ。たとえばウイングというポジションはどういう動きをすればいいのかについては細かく指示してくれますが、コツやカンをつかむための指導を懇切丁寧に指導してくれることはあまりありませんでした。コツやカンをつかめるような指導をしてくれた方々はもちろんいますし、だからこそ今のボクがいるわけですけれどあらためて振り返ってみればごくわずかです。「とにかくやってみればやがてできるようになる」「ごちゃごちゃ考えずにまずは身体を動かせ」とよく言われました。大方の指導者は総じて言葉足らずだったとボクは感じています。

ただ、だからといってこの言葉足らずな指導者の方々を批判するわけではありません。今となってはたぶんそういうものなのだなと思うのです。言葉と感覚は相容れないものです。もっと正確に表現すれば、感覚そのものをその内容を棄損することなく直接的に言葉に置き換えることはできない。「ボールをパスする感覚」「キャッチする感覚」「タックルの際に相手の芯を捉えた瞬間の感覚」を言葉で説明することはできません。言葉にできるのは、そうした感覚が「確かにそこにある」ということだけです。コツやカンと示されるこうした感覚がどのような肌理なのかを想像するために言葉が必要で、それには譬え話やポエティックな表現しかないのではないかとボクは考えています。

言葉と感覚は相容れない。運動が「できる」ためには細かな感覚を積み上げなくてはならず、感覚そのものを言葉で指し示すことはできない。まるでコップに水がたまっていくように、練習や稽古を繰りかえす中で感じる微細な感覚が徐々にたまっていってやがて溢れたときに「できた!」となる。ということはつまり、運動を指導するにあたってはどうしても言葉足らずになってしまうのが常なのではないかと思うのです。

「無意識的に動けるようになるために意識的に動く」のが練習や稽古ですから、「この言葉と感覚の関係性」についてはより深く掘り下げて考えておかなくてはいけません。あくまでも指導者としてまたは研究者としてボクがやっていくためには必要だってことです。それにしても、ふと気がつけば現役の頃から無意識的にではあれずっとこのテーマについて考え続けてきたわけですから、ボクの無意識はなかなか捨てたもんじゃありません。

という身の上に起こった気づきについて書き終えたところである言葉を紹介したいと思います。今のところ、まさに試合中のスポーツ選手が感じている主観(無意識)をこれほどまで明確に語った言葉を他に知りません。レスリングのグレコローマン130kg級でソウル、バルセロナアトランタと同一階級五輪3連覇を達成し、「人類最強」と謳われたA.カレリンの言葉です。


(ここから引用)
「本番の試合中にこそ、まさに言葉の能力が決め手となるのです。マットの上に世界が凝縮されています。時間も凝縮されていて、あまりに速いスピードで言葉が発信されるから、もう自分でも聞こえません。でも、それまでに完全に消化し、自分のものとなっている言葉がたしかに働いているのです」
(引用終わり)


超人的アスリートの言葉に100%共感することなどできないでしょうが、なんとなくだけどわかるような気がしたりはしないでしょうか。少なくともボクは「わかるような気がしました」。たぶん感覚を刺激し、身体を突き動かすような言葉から得られる実感は、「わかるような気がする」というかたちで訪れるのではないか。ボクはそう思います。

だからこそ言葉と感覚が相容れないからといって言葉を排除するのではなく、感覚を触発するような言葉をせっせと蓄えることが必要になってきます。そうして蓄えた言葉が、いざ身体を動かさなければならない局面で働いてくれる。自分には聞こえてこないけれども確実に言葉がうごめいているという感覚。ボクにはわかります。とてもわかります。おそらくゴルフにはまってる人や身体を動かすのが好きな人には共感してもらえると思うのですけれどいかがでしょう。「時間感覚が消える」という感覚もわかる気がします。

無意識とはドーナツの輪みたいなものである。ドーナツがなければ輪は存在しない。言葉を綴ることはドーナツを作ること。ドーナツの輪を顕現させるためにはドーナツがなければならない。つまり、無意識を象るには言葉が必要だってこと。そうした言葉をちょっと集めてみようと思います。