平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「面倒くささ」の意味。

あけましておめでとうございます。

という、いささか遅きに失する新年の挨拶をしておいて久しぶりに書き始めてみたい。1ヶ月以上も放置したことはこれまでになく、「どうしたんだろう、なぜ書くことに戸惑っているのだろうか」と頭を抱え込んでいるうちに、あれよあれよと時間が経過してしまった。考えれば考えるほどに書けなくなって今日まで至ってしまったというわけである。

この間の拙ブログへの足跡を調べてみると、更新されていないにも関わらず幾度となく訪れてくれた人たちがたくさんいた。申し訳ない気持ちとありがとうの気持ちでいっぱいである。あたらしい年も迎えたことだし、心機一転、書いていく所存なのでどうかよろしくお頼申します。

それにしても前回のエントリーが11月も終わりの神戸マラソンに関する内容というのには驚くしかない。なぜ気持ちが向かなかったのだろうかと、振り返ってみたところでその原因が明らかになるとは思えない。とにかく書けなかった、書きたくなかった。誤解を恐れずに言えば「面倒くさかった」。

何が面倒くさかったのかというと、あらゆる人たちの目に触れるネット上で書くこと、にである。ネットという広大な世界の、ちょっとした木陰に看板を立てかけて書いているに過ぎないとは言え、名前を名乗って文章を書いている以上はやはり一定の気配りを為さねばならない。想定される読者を頭の片隅におきながらオブラートに包みこむような表現を使ったり、人物が特定されないように固有名詞を避けたりすることは、ネット上で書くには必要不可欠だ。迎合ではなくあくまでも配慮として、である。

こういうことは当たり前すぎて、あえて書くまでもないことなのだろうが、あまりに当たり前に過ぎることは慌ただしい生活の中では意識に上ることが少ないため、「あえて」書いておかなくてはならない。少なくともボクはそうしておかないと、つい失念してしまうのである。そして失敗が重なって落ち込むことになる。しゅん。

つまり、である。ここんところのボクはこうした配慮をするのが面倒くさかったのである。書きたいことや言いたいことは山ほどあった。でも書けない。書きたくなかった。なぜなら面倒くさいから。

ボクに対して好意的な読者ばかりならよいのだけれど、ネット上にはそんなぬるま湯な言論の場はどこを探してもみつからない。揚げ足をとろうと待ち構えている人たちがうようよしているのがネットという世界である。しかもこうして書かれた文章は意図して消去しない限り半永久的に残存する。サイトを作ったのが2002年、それを引き継ぐ形でブログを始めたのが2007年、それ以降であれば何年何月にボクが書いたことは書かれたときのそのままの状態で一字一句変わらずに残っている。

ただ思うのは、残っているそれはあくまでも字面だけなんだってこと。ボクは自らの書いた過去の文章を読んでいるときに、書かれた内容だけを懐かしんでいるのではない。言葉の連なりをなぞりながらふっと湧いてくる想像力が、想いもよらずに四方八方に派生し、その時代に感じていたことや考えていたこと、頻繁に会っていた人のことなどが数珠つなぎに自然と浮かんでくる。あるひとつの事象を書き綴った言葉の連なりがきっかけとなって、そこに一言も書かれていないあんなことやこんなことが次々と浮かんでくる。それらをひっくるめてボクは昔を懐かしんでいるのであり、それがつまり言葉の連なりとしての文章なのだ。

そう、言われなくてもわかっている。もしものときを考えてボクは言い訳をしている。ここまでつらつらと書き綴ってきた文章は、あらゆる方面への配慮が面倒くさくて書けなかった、基、書かなかった、その理由をもっともらしく述べているに過ぎない。言葉で言い表すことのできるものは、たくさんの事象のうちのひとつであり、書かれたものだけがすべてではない。その日のうちに考えたこと、行動したこと、感じたことが無数にあるうちのひとつの事象を取り上げたに過ぎず、だからそれがすべてではないのだ、というふうに、揚げ足を取ろうと目論む人たちへのある種の防御線を無意識的に張っている。

もう一歩踏み込んで端的に言おう。つまりは怖がっていたのだ。書きたい衝動に駆られながらも、その書きたい内容がそれなりの細やかな配慮を必要とする事柄だったのだと思う。「思う」としたのは、ある本の、あるフレーズで一気に腑に落ちたからである。そのフレーズを目にするまではなぜ自分がブログで書くことに前向きになれなかったのかを説明することはできなかったのだから。すでに感じていたものを言葉が縁取る、つまりはこれが「腑分け」なんだろう。

そのフレーズとは以下の通り。


ネット時代の言論弾圧は、「面倒くささ」として書き手の前に立ちはだかることになっている。(小田嶋隆『地雷を踏む勇気』技術評論社


地雷を踏みにいく勇気をもたねば。

2012
年もどうぞよろしくお願いいたす。