おとなになるってこと。
些細なことで「カチン」とくるたびにもっと大人にならないといけないなと感じる。とはいえ「カチン」にはいろんな種類の「カチン」があるから、そのすべてに大人にならんとアカンなと感じていたら、それこそストレス地獄でたまったものではない。譲れないところは譲る気もない、という性根を持ちながら、それでも謙虚な姿勢でいなければならないところに、その困難さが凝縮している。
う~ん、おとなになるのはむずかしい。
大人になることは言いかえれば成熟するってこと。成熟する、か。なんだか深みが増してさらに難しくなったような気がするぞ。どないすればええんやろか。
ガキっぽい振る舞いをしないことが大人になるってことでもない。ボクが憧れるええ大人な方たちはガキっぽいところがたくさんある。ガキっぽいといえば語弊があるな、無邪気なところ、だな。笑えるところでは声をあげて底抜けに笑う。思わずつられてしまうあの笑顔にはこちらもワハハとなる。その人たちのことを思い浮かべてみたときにまず浮かんでくるのは底抜けの笑顔だ。そしてまたボクはにやけてくる。今もにやけている。
ボクは大人になりたい。早く成熟したい。そう思う。そう思えば思うほど、大人から遠ざかっていくような気がするのはどうしてだろう。「大人を目指している」という身ぶりこそがまだ子供であることは重々承知しているけれど、それを自覚したところでボクの今のこの気持ちが鎮まるわけもない。「大人ぶる」のがもっとも子供な態度であることもわかってはいるけれど、それでもやっぱり大人になりたい。さらに欲を出せば、ガキっぽいところを残したままに大人になりたいなんて考えていたりもする(これは以前にもよく書いてたけれど)。
というようなボクが思い描いている大人像はこんな感じ。
「みじかい言葉で表現しきれない感情」をそのままの状態で心においとける人。ありきたりのフレーズや誰かの言葉で象ってしまわないで、ある経験と結びついたり、誰かとの共感がきっかけになってかたちになるまで、じーっと待ち続けられる人。
やっぱり難しいですね。ソリッドな考え方にまみれてきたボクにとってはとくに難しいです。胸のあたりがモヤモヤしたあの感じに耐えられなくなって、つい話したり書いたりしそうになる。その勢いで話したり書いたりしてしまって自己嫌悪になること、とても多し。
まあぼちぼちいきます。
なんせ「大人ぶる」のは子供のすることですから。
おとなになんか、すぐにはなれません。