平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「まずは声を聴くこと」身体観測第107回目。

 スポーツ現場はにぎやかだ。特にラグビーラクロスなどのゴール型競技では「かけ声」で埋め尽くされている。声を出せば練習は活気づくし、声をそろえれば仲間同士の一体感も深まる。散漫になりがちな集中力も保たれやすくなる。しかし、「声を出すこと」の主たる目的は選手同士のコミュニケーションを円滑にすることにある。

 当然のように、パスをする側と受ける側には繊細なコミュニケーションが求められる。パスする側はどうしても自分をマークする相手に気をとられて視野が狭くなりがちなので、どちらかといえば受ける側が積極的に声を出すことになる。「どのタイミングでパスが欲しいのか」、「自分はどのポジションにいるのか」、「とりまく現在の情況」などを的確な言葉で伝えなければならない。黙って待っているだけではいいパスは回ってこないのである。

 だから「声を出しなさい」と口酸っぱく指導されるのだが、これが意外にも難しい。黙っていてはいけないと思いつつも言葉がすぐに浮かんでこない。的確に「意思」を伝え、「指示」を出すには、後の展開を予測する力を養わなければ難しい。だが、声が出せない原因はもっと根本的なところにある。それは「誰も聴き手がいないという情況」である。

 大学時代の恩師である岡仁詩先生は「コミュニケーションとは声を出すことと聴くことである」とおっしゃった。緊迫した局面が続く試合では、その一言があるかどうかでチャンスがピンチになることもある。まさに一刻を争う状況では、きっと誰かが聴きとってくれるにちがいないという信頼がなければ声なんて出せるものではない。自分の発した声に「よっしゃ」「OK」といった一言があるかないか。この一言の積み重ねがチームに有機的なつながりをもたらすことになるのだ。

 仲間の声を聴く。まずはそれからだ。

<10/11/16毎日新聞掲載分>