平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

バッティングセンターとムズムズ感。

2010年度秋学期の講義が終わって昼ご飯を食べたらやや脱力気味になったので、「これはいけない、頭よりもとにかく身体を動かそう」と思い立ち、デスク周辺の整理整頓に着手した。切り抜きっぱなしだった新聞のスクラップをファイリングし、積み上がった書類をいるものといらないものに分ける。いらない書類は古新聞といっしょに積み上げ、読むべき論文はまとめて鞄に放り込む。「こんなところにあったのか」とかねてから捜索願が出されていた書類が見つかってホッとしたり、「なかなかええ記事やなあ」と切り抜き放置されてたスクラップをあらためて読み耽ったり。

てな具合にしてひと仕事を終えたところで、コーヒーとドーナツで一服。デスクがすっきりしたことで心機一転したのだろう、ブログでも書くかという気持ちになった。

いきなり話は変わるのだが、そういえば昨日は家から歩いて2分のバッティングセンターに行った。研究日ということで、講義の準備をしたあとはゴルフの打ちっぱなしに行くという予定にしていたのだがなぜだか気が変わり、クラブではなくバットを握って合計175球を打った(何球か空振りしてしまったけれど)。

こんな近所にあるのだからまあ行ってみるかと年末に思い立ち、そこから2,3度足を運んでいたのだけれど、どうやら行くたびにだんだんスイングが鋭くなっているようで、昨日は140km/時の球をあまり速いとは感じなかった。ミートする回数も極端に上がり、引っ張るのはまだ無理にしても「合わせにいっての流し打ち」ができてちょっと興奮した。その瞬間、まだ小学校の頃に友だちと野球をして遊んだ記憶が思い出されて、甘酸っぱい気持ちになった。

「そうそう、こうやって打つんだよな、ボールは」という感覚が全身を駆け巡ったときに、やはりボクはスポーツが好きで、身体を動かしてないとアカンねんなあと改めて自覚した。普段バットを振らない人間がフルスイングしたせいで左親指の第2関節あたりの皮がめくれてしまい、手を洗うたびに水が沁みてズキンとするのだが、痛みよりも妙な充実感を覚えてるところがまさにスポーツバカである。バットの芯でボールを捉えた瞬間の気持ちよさはやっぱり何ものにも代えがたい。麻雀にたとえるならば「カンチャンずっぽし」な感じだろうか。違うか。

野球のバッティングだけに限らず「芯をとらえる」ことで身体が感じる心地よさはどのスポーツでも同じではないかと思う。たとえばボールを蹴るという行為にしたって、きちんと芯をとらえることができれば飛距離も伸びるし、なによりも心地よい。身体が悦んでいるのがわかる。バレーボールのアタックでもそう、バスケットボールのシュートでもボールの芯というか重みを手のひら全体で感じて打てればスーッと決まる(あえて言うまでもなくあくまでもボクの主観なのだけれど)。うまく蹴れたときやうまく打てたときの、身体の内奥で感じる心地よさはどこか共通するものがある。とにかく心地よい。

あのミートした瞬間を思い出すたびにもう一度あの気持ちよさを味わいたいと身体がムズムズしてくる。身体を動かすことがオモシロく感じられるためにはこの「ムズムズ」があってこそなんだよなと思う。あの心地よさ、気持ちよさをもう一度!というムズムズ感。このムズムズ感に突き動かされていたあの頃をとても懐かしく思い、だから今もまたムズムズしてくる。なんだかとてもエエ感じだ。