平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「相撲は神事」身体観測第113回目。

 大相撲の八百長問題が世間を騒がせている。携帯電話でのメールのやり取りから八百長が発覚し、事態を重くみた日本相撲協会は大阪での春場所を中止する決断を下した。さらには年内に予定されていた全巡業も取りやめ、本場所の無期限中止という前代未聞の事態にまで発展している。日本の国技である大相撲は今後どうなってしまうのだろうか。

 一連の報道をテレビや新聞でよく目にするが、その度にやるせなくなる。相撲界に対してこれみよがしに断罪する評論家やコメンテーターや専門家の語り口があまりにも鋭利すぎるからだ。まさに弱い者いじめである。誤解しないで欲しいが、決して八百長を認めるわけではない。認めるわけではないが、そこまで追い込まなくてもよいと思う。真剣勝負だと信じていたファンを裏切り、国技としての権威を貶めたのかもしれないにしても、みんなで寄って集って袋だたきにする構図は見ていて心苦しいものがある。

 八百長問題が発覚したとき、僕はほとんど驚かなかった。相撲に八百長があることくらい薄々感づいていたから「やっぱりそうだったのか」と思っただけだった。だから、あたかもまったく知らなかったような口調で正論を語る人たちをどこか信じられないでいる。もし本当に知らなかったとしたらそれはあまりにナイーブすぎるだろう。取組のすべてが八百長ではないことくらい一目瞭然だし、今さら目くじら立ててどうしようというのか。

 あくまでも相撲はスポーツではなく神事である。これを忘れてはいけない。五穀豊穣を祈念する神事として江戸時代から続いてきた相撲に、明治期に初めて日本へ流入した近代スポーツの論理をそのまま宛がうのは筋違いだろう。勝ち負けとは別の論理で八百長問題を考えてみれば、これほどまでに騒ぎ立てる必要があるのかどうか。甚だ疑問である。

<11/02/08毎日新聞掲載分>