平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「スポーツが果たす役割」身体観測第117回目。

 東日本大震災から3週間が経過した。画面を通して伝えられる復興の様子に少しずつ心も落ち着いてくる。避難所で過ごす方々の笑顔を見た時はなおさらだ。そのたくましさに生きる勇気が湧く。安易に同情するわけにはいかないと身が引き締まる。

 震災前にジャズ喫茶を営んでいた方が避難所で音楽とコーヒーをふるまう映像がふと目に留まった。我々被災者にとって今はストレスの発散場所が必要だと、津波に飲み込まれた店からレコードを運び出し、テントで簡易的に喫茶店を始めたのだという。インスタントではないコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾ける時間がどれほどの癒しになるのか。それを想像してしばらく目を閉じてみた。

 そういえば、正確な情報をいち早くつかむために僕が利用しているツイッターでは、被災地で過ごすある方がふと耳にした曲にしばしの安らぎを得たとつぶやいておられた。一瞬だけでも震災前のあのときに戻れた気がしたと。生まれ育った街は地震津波でなくなってしまったが、心の中には喜怒哀楽とともにはっきりとあの時の光景が刻まれている。ある一つの曲がそれを呼び起こすきっかけになった。被災を免れた僕は、懐かしさのあまりにそれがかえって喪失感を生むのではないかと想像したが、必ずしもそうではなかった。

 ある曲がきっかけで思い出がよみがえってくる。あの時のあの場所がふと浮かぶ。目で見ることはできなくなっても、心では感じることができる。音楽は被災者をこのようにして元気づけるものなのだと気づかされた。

 スポーツもまた人を元気づける。音楽のようにはいかないにしても心を揺さぶるものとしてある。簡易球技場を作って走り回ることは無理にしても、アスリートの真剣勝負を映像に乗せて届けることくらいはできるはずだ。今まさにスポーツのあり方が問われている。

<11/04/05毎日新聞掲載分>