平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ラグビー同好会ができました。

ラグビーの練習をしようと思うのですが」と先ほど学生数名が研究室に来る。今年度から発足したラグビー同好会の学生たちである。2016年のリオデジャネイロ五輪の正式種目に7人制ラグビーが採用されたことを受けて、兵庫県は女子ラグビーの普及・育成活動に力を入れ始めた。その手始めとしてまずは大学にラグビー部を作ろうと、神戸親和女子大学に白羽の矢が立ったのである。当面の部活動は大学の近所にある神戸甲北高校グラウンドで、県高体連ラグビー専門部セブンズ・女子普及委員長の財田幸治氏のもとで行われる。ボクは授業の合間を縫って大学のグラウンドでスポットコーチをする。もちろんラクロス部の顧問は継続しながら。

本日の参加者は6名。他の部活に所属する学生や初心者もいたので、基本的な練習を1時間ほど行う。経験者であっても、小学生のときにかじった程度であったり、始めてまだ1年足らずだったりで、基本的なことがまだまだ身についていない。なるほどこれくらいのレベルなのだなと、彼女たちの競技力を認識できたことが今日のいちばんの収穫であった。

「ディフェンスシステムについてはこんな風な言い方で説明しよう」とか、「2オン1ならできそうだが3オン2は難しいだろう」とか、「ストレートランよりもまずはランニングウィズザボールに慣れることが先だな」とか、頭の中でぐるぐるとイメージが膨らむ。こういう想像ができるようになったことでこれからの指導計画が立てやすくなり、なんだかワクワクしてきた。ひとまず来週は試合の映像を一緒に見ながらラグビーというスポーツに触れてもらうことにする。

こうして指導をしながら不思議な心地よさを感じたのはどうしてだろうと考えてみたら、ひとつ思い当たることがあった。ラクロス部の顧問として指導をする時と比べて自分に余裕があるのである。つまり技術を指導できるのだ。ボクがこれまでどっぷり浸かってきたラグビーを指導するわけだから当然と言えば当然なのだけれど、でもこの感覚がとても新鮮で、技術指導ができることにこれほどまでに余裕が生まれるのかととても驚いた。

勘違いしないでほしいのだが、余裕があるから指導しやすいとかその方がよいとか、そういうことを言いたいのではない。余裕がなければないで、技術以外の部分への想像を膨らませた指導が行えるという利点がある。たとえばラクロス部に指導するときは「パス」というプレーの本質的な部分を深く洞察しやすい。表面的な技術論に逃げられないからである。技術的なアドバイスをするなら中途半端にするのではなく丁寧に伝えようという心掛けは、その競技の本質的な特性を掘り下げるようにと誘われる。また、ラグビーとの類似点や、それぞれの競技に共通する選手としての心理的側面についても深く考えさせられる。「経験がない」ことがかえって想像力をかきたててくれるのである。

ラクロス部の顧問になって今年でもう4年目になる。これまで技術的アドバイスを自制しつつ、それでも気がついた点については積極的に助言するという指導をしてきた。それがボクにとってのスタンダードになり、そこに落ち着いていたのだが、いざ実際にラグビーを指導する機会に恵まれると、技術指導ができることにわずかな心地よさを感じることになった。指導をしながら感じた不思議な感覚はおそらくこういったことなのだろうと思う。それから、教えようとする技術ほどうまく言葉にならないというもどかしさもそこには付随し、だからこそひとつひとつのプレーや、それを裏付ける経験についてもきちんと言語化していく必要がある。ラグビーの試合ももっと見ないといけない。

2つの部を掛け持ちするわけではないけれど、幸いなことに異なる2つの競技を同時に指導する機会に恵まれたわけで、そのひとつがボク自身それなりに取り組んできたラグビーであり、もうひとつは全く経験をしたことのないラクロス。それを自分とは性別の異なる女子学生に教える。これまでよりもっと想像力をたくましくしなければならないだろうし、これまでとは異なる想像の仕方に挑戦しなければならないだろうけれど、とても楽しみである。スポーツ指導者として動きの伝承についての研究にも今まで通り取り組んでいこうと思う。