平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

集中力と持続力。

専門演習でのディスカッションテーマを見つけようと本棚を見渡しているときにふと目に留まった『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹、文春文庫)を手にとる。もう幾度も読み返しているこの本をまたパラパラ開いてみたら、やっぱりみつけた。いや、ディスカッションテーマではなく心に残るフレーズなのだが、こうして何気なしにふと手にとった本が心に響くことは今までに数え切れないほどあって、そのたびに心が躍るのである。

というわけでさっそく引用しておく。

<ここから引用>
 才能の次に、小説家に何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。(116頁)

 集中力の次に必要なものは持続力だ。一日に三時間か四時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。日々の集中を、半年も一年も二年も継続して維持できる力が、小説家には――少なくとも長編小説を書くことを志す作家には――求められる。(116-117頁)
<引用ここまで>

村上春樹は作家に必要な資質として、才能はもちろんだがその次に必要なものとして集中力と持続力を挙げている。でもこれはなにも作家だけに求められる資質ではないだろうと思う。長きにわたって何かを作り上げる、すなわち時間の射程が長い仕事をする際に求められる心掛けであろう。瞬発的に力を発揮するのはそこそこの能力と突発的な志しがあれば為し得るだろうが、継続的に発揮するのはとても難しい。じわりじわりと粘り強く取り組む。まさにボクが苦手とするところであり、「もっとじっくりがんばらんかい!」という天の声にガツンと打ちのめされた思いがしている。

集中力。確かにこれがなければ何事もできない。漫画『ドラゴンボール』で悟空が元気球を集めるときのように、気を一点に集中させれば大概のことはできる。もしかするとそのとき自分が思い描いているゴールとは違うゴールに到達するかもしれないが、それもまた一つのゴールであり達成だと解釈すればよいのであって、ほとんどのことは為せば成る(と信じたい)。

しかしながら単発的に集中力を発揮するだけでは、為し得ることに一貫性がなくなる。何かを為し得た後に長期にわたる完全休養が必要となるようながんばり方ではダメで、ある程度の集中を保った状態を継続できることが大切であって、それが持続力ということであろう。なんだかとても身につまされる。

大それたことをしようともしたいとも思っていないが、ただ、今の自分が考えていることを一つずつ実現していきたいと考えていて、それは追い込み型ではないスポーツ教育論であったり、武道的な身体運用の考え方をスポーツの中に取り入れることだったりするわけで、それには継続的な労力とまとまった時間がかかる。だから、この集中力と持続力がどうしても必要になるわけだが、ついついしびれを切らしてしまいそうになってアタフタしていまい、慌てふためく自分が自分で嫌になり、ああ、と落ち込む。

集中力と持続力。もっと意識していかねば。

結局のところディスカッションテーマはまだ浮かばずか…。とは言え、ホントのところを言えば大まかには決まってるんだけどね。