平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「矛盾を抱えるラグビー」身体観測第120回目。

 現役を退いてからというもの選手への名残惜しさを抱えながらラグビーについて考え続けているのだが、考えれば考えるほどに不思議なスポーツだなと思う。押しつけがましいかもしれないが、ラグビーに育てられた身としてはラグビーの魅力をたくさんの人に伝えたいと願っていて、だからできる限りわかりやすい言葉で語るように心がけている。しかし、事はそう簡単には運ばず、その本質を理解すべくルールやプレーをひとつひとつ掘り下げていけばいくほど複雑さが増していくから困っている。


 たとえば「前にパスを投げてはいけない」というルール。相手陣地の最奥地にボールをグラウンディングすれば得点が入るラグビーは、言ってみれば陣取りゲームである。防御側は相手の前進を阻み、スキあらばボールを奪い返そうと襲いかかってくる。それをかいくぐって得点につなげるためにはパスが有効手段となる。にもかかわらず前方へのパスが禁じられているのである。つまり、「後ろにパスをつなぎながら前進を図る」というアクロバティックなふるまいが求められる。


 スクラムもそうである。これは敵味方それぞれ8人が身体を寄せて押し合うプレーだが、崩れてしまうと大怪我につながる恐れがあるのでまずは安全に組み合うことが最優先される。つまりまずは敵と息を合わさなければならず、安全に組み合うことができて始めて鬼気迫る押し合いが開始される。その優劣がチーム全体の士気を左右するほど重要なプレーであるスクラム。そのスクラムに求められるのが協調と競合という相反する所作なのである。


 ラグビーにおける最も象徴的なルールとプレーそれぞれに矛盾的要素が内包されていることは注目に値する。ただしこれをわかりやすく伝えるのは相当に骨が折れる。一先ずはこのいじらしさが魅力なのだと言っておくことにしよう。


<11/05/31毎日新聞掲載分>