平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「GPSの導入に一言」身体観測第126回目。

 練習中の選手に小型のGPSをつけて総走行距離や加速度を測定する技術が、スポーツ現場に浸透しつつある。乳酸値や心拍数の変化まで測るというから驚く。ベンチプレスやスクワットなどの筋力測定や50m走やシャトルランなどの体力測定。これら旧来のものに加えて身体能力を数値化しようとする動きが加速しつつある。

 

 しかしこの技術が導入されつつある現状には大きな危惧を感じている。どれだけ走ったのかが一目見てわかるというのは、どれだけサボったのかが数字の上で示されるということである。おまけに心拍数までわかるというのだから、ごまかしはきかない。「息が上がっていないんだからもっと走れるはずだろう」と指摘されれば返す言葉もない。何とも窮屈な環境である。

 

 指導者の立場からすれば選手の能力を簡単に把握できるから便利かもしれない。また、選手の立場からは上達するプロセスを実感できるから歓迎されるかもしれない。だが、この総走行距離に頼ることで覆い隠される大切な能力がひとつある。それは流れを見極める力、すなわち判断力である。

 

 ラグビーでは、それほど足が速いわけでないのにトライを量産するタイプの選手がいる。絶妙な場面でボールを持ち、またディフェンス時にはどことなく現れて相手の前進を阻止する。つまり肝心なところでいいプレーをする。彼らは、これから起こりうる情況を予測し、その判断のもとに最短距離を走っている。どう考えてもこのタイプの選手の総走行距離は短くなるし、心拍数もさほど上がらないだろう。

 

 たくさん走っているからいい選手とは限らない。与えられた役割を果たしつつ好機に顔を出し、しかもほとんど息が上がらない。この選手の方が能力は高い。スポーツ科学は、数値化できない能力を開発するためのものであってほしい。

 

<2011/09/06毎日新聞掲載分>