平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

連載終了にあたっての挨拶。

秋を通り越して初冬のような一日もすっかり暗くなった。山を越えて神戸市の北に位置するここ鈴蘭台は、すっかり冬の匂いが漂っている。

ひとつ前に身体観測第127回目分を更新した。読んだ方はわかると思うが、今回を持って連載を終了することになった。思い返せば5年と5カ月。よくもこんなにも長く書き続けることができたよなあ、すごいよな、オレってと、ちょっと得意げに感慨にも耽ってみたが、しかし、長らく書き続けられたことの本当の理由はそういうことではない。何よりも言えるのは、ボクのことをオモシロがってくれる人が周りにたくさんいたから、ここまで書き続けることができたのだ。

「こんなこと書いたらあの人の琴線にふれるかもな」と思ったら、なんだかワクワクしてきてキーボードを叩く指がスムースに動いた。反対に、「こんなこと書いたらあっち方面の人たちはしかめっ面をするに違いない」と思ったときもスラスラと書くことができた。ただこれは「おもしろがってくれる人たちがいる」ってことの裏返しであって、結局のところ、オモシロがってくれる人たちがいたから特定の方面を苛立たせる内容をも勇気を持って書くことができたということなんだろう。

とにもかくにもこうして連載を続けてこられたのは支えてくれる周囲の方々がいたからであり、さらには読者の方々がいたからであって、ここでこうして改めて感謝の意を表したいと思う。本当にありがとうございました。正直に言うとちょっと寂しくもあります。でも、どこかホッとして肩の荷が下りたように感じているところもある。今年に入ったあたりから書くネタに困って締切直前で「んがー」となることも多かったもので。おそらくはそのあたりも言葉の隙間から洩れでていたのでしょうね。失礼しました。

連載中は何かネタになるものはないかと、ずっとアンテナを張り続けていた。だからこそ得るものがあって、ネタになる前の火種みたいなものを見つけられていたのだが、連載が終わればその必要はなくなる。見つけなくてもよいのだから、見つけようとしない。そうすると、今までそれをもとにしていろいろと思考に耽ってきたのだから、肝心な研究において底抜けするんと違うやろかという不安が無きにしも非ずである。だからそうならないように、もっとこのブログを更新していこうと思う。期日を切ったりして制限をもうけなければボクってヤツは結局のところ何もしないので、そこんところはちょっと気をつけようと思っている。

てなわけでまたここで書いていきますのでどうぞよろしく。