平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2011'神戸マラソンを走り終えて。

「参りました」というのが正直な感想である。マラソンに求められる身体能力とはいかなるものかを探ろうとしたが、そんな余裕があったのはちょうど半分を過ぎる辺りまで。「30kmの壁」があれほどまでに分厚いとは夢にも思わなかった。何とか完走はしたもののタイムは5時間44分。走る前は目標タイムを5時間とし、できれば4時間台で走ろう、いや順調にいけばそれは固いだろうと高を括っていた。この目論みは甘かった。とてもとても甘かった。

よくよく思い出してみれば現役の時から長距離走は苦手であった。体力測定でよく走った3000mも決して速いわけでもなく、かといってめちゃくちゃ遅いわけでもない中の中。持久力を測定するマルチステージという種目も(20mの距離をブザー音に合わせて行ったり来たりする、だんだんブザー音の間隔が短くなり、音に合わせて走れなくなるまで続けるというもの)レベル14程度。

うーん、我ながらこんな大事なことをなぜ忘れていたのだろう。不思議である。

しかも現役を引退してから5年が経っているわけで体力の衰えは否めない。神戸マラソンに向けて週2回は必ず走っていたとはいえ、その衰えを補えるところまでの練習量だったかというとそうでもないような気がする(今から思えばということだが)。いずれにしても「目論みが外れた」ということである。

大会前日に、ラグビーとマラソンでは求められる身体能力が違うであろう、特に持久力が違うはずだからその違いを探りながら走りたいと、ブログに書いた。その答えを端的に言うとすれば、想像を絶するほどに違ったという表現になる。「たぶんこれくらいだろうな」と想像していた範囲を軽く凌駕するほどの持久力が必要で、それはラグビーとは際立って異質なものであったと言わざるを得ない。

これまで3時間台でしかマラソンを走ったことがないという友人に、「初マラソンなら出だしは“そろり”といった方がよいですよ」というアドバイスをいただいていたので、ボクとしては細心の注意を払って“そろり”と走り始めた。とにかくゆっくりのペースで、沿道に群がる人たちからの声援に応えたり、周りの景色を楽しんだり、JR鷹取駅を過ぎた辺りで顔見知りの先生を見つけて「おおっ」となったり、心にも余裕を持ちながら走ることを心がけた。競い合ってではなくこうしてのんびり走るのはいいものだなと、このときはまだ走ることを楽しめていた。

ちょうど明石海峡大橋が見えた辺りで、気持ちの上で少し急いた。欲が出た。(このペースでいけば4時間台は確実だな)と腕時計を見て思った。おそらくこのわずかな慢心、ふっと意識が未来にいってしまったことでペースが乱れたのではないかと推察される。まだ一度も42.195kmを走ったことのない人間が「このリズムを刻んでいけばいける」と思うのは慢心以外の何ものでもない。言うなればラグビーを通じて培ってきた感覚をそのままマラソンに当てはめて判断を下したということだ。しかも当時から長距離走が苦手だったのだから傲岸不遜に過ぎる。図らずもハイペースになるのは致し方がない。

それでも25kmぐらいまでは悠々と走れた。だがそこから未知の世界が待ち受けていた。両脚がギプスで巻かれたかのように動かなくなった。息はほとんど上がらないながらも脚が動かない。これが「30kmの壁」ってやつかとその時は思った。マラソンという競技に特徴的な「30kmの壁」。頭では理解していたつもりだったが、まさかこれほどまでとは想像もできず、やがて歩き始めてしまった。ああ、情けなや。

そこからはただ完走するためだけに歩きました。最後の5kmは、沿道で応援してくれる人たちに申し訳なくて、最後の力を振り絞って走ったけれど、実のところはフラフラ。ゴール間近ではあるボランティアの方に「平尾〜、がんばれ〜!」と声をかけられ、「うわぁ、オレってバレてるやん、こりゃ最後だけでも走らなアカン」となった(声援、ありがとうございました)。

ホントに疲れたというのが率直な感想。走り終えた後すぐ嫁に言った言葉が「もうこりごりや」でした。

そんな中でも、ラグビーとマラソンの持久力の違いはなんとなくですがつかめたような気がしている。たった1回走っただけでそのすべてを理解したと思ってはいないが、一つだけ朧げながらつかんだ感覚がある。それはスピードコントロールの感覚。

走るスピードをコントロールするときにラグビーではアクセルとブレーキを踏み分ける。それに対してマラソンはアクセルだけで行う。急激に止まるシチュエーションなどないのでブレーキは必要ない。どうしてもアップするペースを抑えるときにはブレーキを踏むのではなくアクセルを緩める。時にはニュートラルに入れて惰性で走り、エンジンブレーキを効かせながらペースダウンを図ったりもする。つまり入力から出力までに遊びがあり、急激な変化をよしとしない。それはカラダだけでなく意識においてもそうなのだと思う。

ということから考えていくと、今回のボクの失敗が浮き彫りになってくる。おそらくボクは徐々にアップしていくスピードをブレーキを踏むことで抑えていたのではないかと思われる。つまりはラグビー的な身体運用そのままに走っていたということ(気をつけていたつもりなのに)。アクセルとブレーキを同時に踏み込んでスピードを抑えていたんじゃないだろうか。だから途中で筋肉がオーバーヒートしてしまった。

歩き出した自分を受け入れられず、カニやしまうまの着ぐるみを被った人やスパイダーマン、どうみても年配の方々に、次々と追い抜かれて行く中でふと腑に落ちたのがこの感覚である。できれば次に走るときには、この感覚を頼りに練習を繰り返して本番に臨みたいとは思うけれども、今はもうマラソンはこりごりだと思っているからおそらくは叶わぬ目論みであろう。いや、でもやっぱりここまで書いてしまうともう一度走って確かめなければならないか、なんて思い始めている自分がいたりもする。どうするか。まだここでは結論は出さないでおこう。ただし、マラソンを走る走らないに関わらずランニングはこのまま続けていくつもりだから、「ブレーキを使わない」でペースを落とす感覚を探りながら家の近くや大学のグラウンドを走ろうとは思う。

とにかく疲れました。