平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

振り返ればヤツがいて、オレもいる。

自らの内奥から湧き出てくる考えとそれを象る言葉。それらはいったいどこからやってくるのかというと、おそらくは自分ではない。自分の内奥から湧き出てくる、と言っておきながら実はそことは違うところからやってくるというのは明らかに論理矛盾ではあるが、実感としてそう感じるのである。自分の奥底を掘っていくと突き当たるのは自分ではなく「他者」である。確実に自分の心の中にあるのだが実感として自分とは言い切れないまるで他人のように感じられるもの、それが「他者」だ。

かつての自分が経験したあれやこれも、今から思い返せば本当にあれをしたのが自分だったのかと思えたりすることがある。酒に酔った時などにたまに見返したりする現役時代の試合には、当たり前だけどボクが出場している。なかなかええ走りをしているなあとか、今のは情けないプレーやなあとか、懐かしさで身体を満たす時間を楽しんでたりするのだが、ふと「これって本当にオレなんだろうか」と過ることがある。あまりにも現在と違いすぎるその自分を、心のどこかで疑ってしまう自分がいるのだ。

映像に映る「それ」はまぎれもなく自分である。これはどう転んでも揺るがない現実としてある。ただ「それ」を把握する自分は間違いなく2人いる。1人は現役選手としてその当時を生きた自分。この自分は肌感覚で当時を覚えている。五感で記憶している自分とでも言おうか。忘れたくても忘れられないほど強烈に刻印された記憶としての自分である。

もう1人はその自分を「それ」として眺める自分。つまり言葉で捉えようとするボク。幾ばくかの客観性をもって言葉や数字を宛てがい、あの頃の自分が経験したものを一つの物語に仕立てようとする自分。あれやこれやと考え過ぎて、ときに迷宮を彷徨い始めたりするのがコイツだ。

あの頃の自分はどのようなことを感じていたのだろう、ある試合のある場面ではどんなことを考えながらプレーしていたのか。こうして考えれば考えるほどに今の自分とあの頃の自分が乖離していくような気分に襲われる。考えれば考えるほどに今の自分とあの頃の自分は別人のように感じられて仕方がない。この状態を放っておけばどんどん乖離してゆき、やがてひょっこりと「他者」が表れるのである。

たとえば、大学3年時の花園で行われた近畿大学との試合で、自陣22mライン付近でこぼれ球を拾った味方選手からパスを受けてそのままトライしたシーンがある。今でもはっきりと思い出されるのはボールをキャッチする瞬間の映像と、「このタックラーを外せばトライだという確信」をもってライン際を走ったときの映像。連続攻撃をしたあげくの相手のミスをトライにまで結びつけたプレーとして、「してやったり!」という悦びとともに胸に残っている。

感覚的におそらくはいつまでも記憶に残り続けるプレーになるだろうが、このプレーに奥行きと彩りがもたらされたのは、引退後に改めてこのプレーを考察したからである。なぜ「このタックラーを外せばトライだという確信」が芽生えたのか。これは歓声が大きく影響している。あのときを振り返れば確かにボールをもった瞬間に歓声が大きくなった。このときの歓声のざわめき具合からボクは「トライまでの予感」を感じ取ったのだと思われるのである。

観客は俯瞰的な目線でグラウンドを見下ろしている。それはつまり選手目線からは見えないスペースが見えているということである。だからこぼれ球を拾ってパスがつながった瞬間に「あと1人躱せばトライだ!」と気持ちが高ぶった。おそらく観客席から見たら一目瞭然な大チャンスだったのだろう。その気持ちの高ぶりが「おおっ!」という声として発せられた。一つ一つの声に込められた気持ちの高ぶりが束になって歓声となり、それを耳にしたボクは「これはチャンスに違いない」と判断して勝負を仕掛けることができた。つまり、歓声の強弱、大小が一つのプレーを判断する材料となっていたのである。

という具合に記憶は上書きされていくのだと思うのだ。その上書きされた記憶が冒頭で書いたところの「他者」というわけなのであった。

ただ感覚で捉えただけの自分だけにしかわからない記憶は、明らかに自分とは地続きであることが実感される。しかし、その記憶に言葉が宛てがわれた途端にどこか他人事のように感じられるから不思議である。裏を返せばそこには「新たな自分」が立ち上がるとも言えるわけである。すなわち「他者」が表れる。

とは言え両者ともに自分であることに変わりはないわけで、できることならお二方とも仲良く共存していただければそれに越したことはない。無理矢理に同一人物だと断定するのではなく、あちらの自分とこちらの自分と区別した上で仲良く棲み分けるというかたちでぜひとも共存していただきたいものである。毎度ややこしい話ですまない。