平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

8月に入ったというわけで。

気がつけばもう8月に突入。台風接近の影響か、昨日までの暑さが少し和らいだ感じがする。ということでさっそくグラウンドに出てボールを蹴って、40mほどの距離を10ダッシュして、現役時代も晩年によく取り組んだジャンプトレを久々に行ってみた。体重が軽くなったせいかいとも軽々と自分の身体が浮き上がったので、「まだまだオレも捨てたものやない」と気をよくしている。さすがに走りの方は久しく走ってなかったこともあって、身体中の関節が油切れを起こしているかのようなギクシャク感に「とほほ」となったが。

いずれにしても身体を使うことで得られる壮快感はたまらない。動かすまでにはそれなりの意志と決意が求められるが、いざ動かしてみるとやっぱり動かすもんだよなあ、となる。よくよく考えてみれば、会議や打ち合わせがないときはほぼ一日中研究室の中で読んだり書いたり、学生の相談に乗ったり、おしゃべりに興じたかと思うとちょっとした説教口調で語りを始めたりと、ほとんど頭と口と手だけしか使っていない。そりゃ、身体の流れも滞るってもんである。学期中は講義や実技があるので休み中に比べればまだ動かしている。とは言え、身体の望むまま伸びやかに使っているわけではないため、運動後の壮快感はまったく違う。講義や実技は仕事。だから当然と言えば当然なのだけれども、これほどまでに違ったかなあと、久しぶりに動かしてみて実感しているのであった。

「やらなければならないから、やる」のと「やりたいから、やる」の違いが身体に及ぼす影響は想像以上に大きい。ただ、だからといってすべてやりたいようにやればいいかというとそうではなくて、義務を果たしているからこそ自らの意志で取り組むことに充実感を覚えるわけであり、たぶんこれらは補完的な関係にある。そして、だんだん「やらなあかんこと」の義務性を娯楽的な要素へとアレンジしてゆく所作を身につけなければいけないんだろうなあ。

とかなんとか考えることはもうやめにして、とにかく気が向いたときには身体を動かすことにするのである。このゴチャゴチャ考えすぎるところがよくない。と、今のボクは思っている。

さてと、春学期が終わって「採点の祭典」に突入し、今まさにまっただ中なのだが、今週中には目処が立ちそうでホッとしている。ラクロスの合宿が日曜日からなのでそれまでに入力を済ませておきたく、少し早めに手を付けたのが功を奏したようである。眼の奥にどんよりとした疲れと背中にやや張りが残っているのは、たくさんのレポートを読み、答案を採点したから。首を回せばミシミシ音がするけれどこれもまた「採点の祭典」にはつきものの症状である。とほほのほ。

8月にも入ったことだし、ラクロス夏合宿が控えているとはいえ夏休みに入ったわけで、精神的にも少し余裕が生まれたということで、またぼちぼち書いていくことにする。気が向いたら書く、ということにしておいて、あまり肩に力を入れずに再開していきます。てなわけで今日はここまで。