平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「時間がない」が口をつく心理。

とうとう6月は一度も書かなかった。ブログならぬホームページで書き始めてからというもの(2002年からだからもう10年目か・・・早いものだ)、1ヶ月まるまる更新しなかったのは初めてのことである。まるで停滞している現状に戸惑っているのは相変わらずで、なぜこれほどまでに書けなくなったのかが今でもまだよくわからない。以前は「書く」ことをあれだけ楽しめていたのに今は楽しめない。ときに苦痛とさえ感じるときもある。心のどこかで書かなきゃならないと奮起しようと試みるも、いざ書く段になればふにゃふにゃと意欲が失せてゆく。

「これではいかん!」と思い立ち、昨年の終わりから今年の始めにかけては“とにかく書こう”と半ば強引に更新を試みた。その内の幾つかは直前に思い留まって削除したけれど、それ以外はエントリーした。快調に書き飛ばしていた頃から比べれば明らかに頻度は減ったにせよ月に2度のペース保っていたし、定期的に綴ろうとする意欲が枯渇することはなかったように思う。書くこと自体を楽しめていたし、書き終わったあとに感じるなんとも言えない開放感を味わえる余裕が、この頃にはまだ実感としてあったように思われる。でも今はあまりない。ほとんどない。ずっと「書かなあかんねんけど、なあ」と思い続けているし、書いたあとも「あれでよかったんだろうか」とずっと気になっている。

うーん、オレの頭の中ならぬ身体の中はどうなっているのか。謎である。無理矢理に今の状態を表すとすればそれは「ぐずぐずしている」ということになろうか。

ぐずぐず、か。

まあ、でもそれでええか。
「ぐずぐず」のまんまで書いていくことにすれば、ええか。

というわけで開き直って今日は書くことにする。

まずはこの6月における自らの停滞ぶりをじっくり観察してみたい。
よくよく思い返すとまあ単純に「多忙だった」ということだ。

教育実習校訪問では、西は加古川、東は四條畷までを行き来。ほとんどの研究授業を含む各授業を見学しての学生指導を行う。実習校訪問に行くのは今年で2年目。昨年の学生たちの中には3週間の教育実習で見違えるように成長した者もいて、その悪戦苦闘ぶりを垣間みることのできる貴重な機会である。ただ講義や会議の合間を縫っての訪問になるので、いささかのドタバタ感が日常にもたらされるのは否めない。この時期、研究日なんてあってないようなものになる。

さらにその合間を縫って高校訪問と入試説明会が催され、もちろんラグビー愛好会の練習もラクロスの練習もあり、おまけにリソースコーチとしての初の合宿もあった。こうして羅列してみて改めて感じたのだが、なかなか忙しい日々を送っておるじゃないですか。あまり気が休まらんなあと感じてたのは気のせいではなく、単純に仕事量が多過ぎたからだけかもしれない。

自由に研究する時間がないというのは現状を真摯に見つめれば言い訳になる。そのことは十分に承知しているつもりである。そんなエクスキューズを自分に許せば研究が進まなくなり、研究者として歩むべき道は閉ざされてしまう。わかっている。よくわかっている。わかってはいるが、どうしてもこの一言が言いたくなる衝動は抑えられない。「時間がない」、のだ。

だからといって研究室に籠る時間が欲しいのではない。たとえば文献を読むにしても、ラクロスラグビーを指導するにしても、また講義や実技にしても、そこここに気付きがあり、考えを深めるための知見はあちこちに散らばっている。それを掬いとって思考のまな板の上に乗せ、しばらくじっと眺めては調理の仕方を思案するのが研究だとすると、今はそんなのんびりした時間はない。まな板の上に乗せることはできてもじっくりと思案する時間はどこにもない。さらに言えば、掬いとる行為こそが研究というプロセスにおいてとても大切な行為であり、この行為には瑞々しい感性や直感が不可欠となる。泰然自若な態度でいられるからこそ琴線に響く言葉や動きに瞬時に反応できる。だがそんな余裕を持つことは今は到底難しい。

これらのことすべての原因を「時間がない」ことに集約するつもりはない。なぜならボク自身の至らなさにも大いなる問題があるはずだからである。仕事のやり方が下手だったり、想像力が乏しかったり、思考スピードが遅かったりするかもしれない可能性には十分に想像力を働かせておかなくてはならない。ある先生から「事務的な仕事が遅い」と指摘されたこともあるから、たぶん鈍臭いところもあるのだろう。そこは認めるし、少しでも改善するように努めたいと思う。ただ、研究するということに対してだけは妥協しない。人の目には立ちすくんでいるように映ったとしても納得がゆくまで考えたいし、今はまだ形にならないなにかにしても、手放さずに手元に手繰り寄せておきたい。まだうまく言語化できないものを心や頭に浮かべておく余裕を持っていたい。

この気持ちをなんとか鎮めるべくどうしても口をつくのが「時間がない」、なのである。自らの至らなさを踏まえてもそれでもふと口をついてしまう。そこんところのなんとも言えないもどかしさをわかってもらえれば、ボクとしてはとても有り難い。それだけでまた次に踏み出す力が湧いてくる。

ここまで書き切って感じるのはやはり新鮮さ。書き切ればやっぱり爽快感を味わえる、か。これで執筆中の本にもまた新たな気持ちで取り組めるというものである。

さ、また書いてゆくするか。