平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

春先のふやけた身体に喝。

おっとまたもや軒先にどどんと広告が出てやがる。それだけホッタラカシにしてたってことだから自分のせいだけれど、それでもやっぱりムッとするのはわがままな性格ゆえか。それにしても時間が経つのが早くてもう3月。そりゃソネットさんもしびれ切らせるって話です。書きますよ、書けばいいんでしょ。

と、一人芝居をすることで更新停滞の後ろめたさを払拭したかったのでした。

すっかり春を思わせる陽気に、どっと迫り来るのは眠気。春眠暁を覚えず。というには時期尚早だが、春の暖かさは心地のよい眠気を誘う。土の中から這い出る虫とは対照的に、そのまま布団の中に潜り込みたくなる。冬眠ならぬ春眠。身体の表面がふやけていくような何ともいえない微睡みと格闘しながらようやく夕方まで辿り着いたのだった。

この強烈な眠気を誘発している原因はもう一つ考えられる。それは花粉、じゃなくてPM2.5、でもなくて、運動不足である。身体の内奥から湧いてくるようにググっと力を込めるいつもの感じが不足している気がするのだ。意欲の欠如、つまり力を入れようにもうまく入らない。普段から力感のない動きを追求しているがゆえに、日常生活ではほとんどふにゃふにゃ。だからたまにはある程度のストレスをかけておかないと、どうしようもない不安感が身体を襲う。放っておけば自信喪失や不信感にまで至るようなこの不安感は、早々にやっつけておかねばエラいことになる。他の人はどうか知らないけれど、僕の場合、これを退治するには身体を動かすことに尽きる。自分の内面をつぶさに観察していると、どうもこの手の不安感は身体のフィジカル面から生まれてくるような気がしてならないのである。

ゴルフのスイングにしてもラグビーゴールキックにしても、いやすべての身体運動について言えることだと思うが、リラックスをすること、すなわち「力を抜いた」プレーこそがよいパフォーマンスにつながるとされている。実際にそうだとも思う。心身ともにリラックスした状態、すなわち無駄な力がどこにも入っていない状態がよいパフォーマンスを生む。しかしだ。だからといって最初から力を抜こうとしてもそれは叶わない。力の入れ方がわかっていないうちから力を抜こうとしたところで、上手くはゆかない。何かをしようと意識的になっている状態が「力む」だとすれば、その状態にまずは足を踏み入れないことには「力が抜けた」理想的な状態に至ることは難しい。

「力む」がなければ「力を抜く」もない。僕はそう思う。

たぶん、ちょいと弛め過ぎなのだ。リラックスしよう、リラックスしようと意識し過ぎたがゆえに、身体がふやけてしまっている。こんなときはググっと力を入れる機会を作らなければ。

てなわけで、ひとまず今夜は打ちっぱなしにでも行って、「どこまで力むことができるか」という意識でスイングすることにする。