平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

『バガボンド』35巻を読む。

好天の休日に過ごす研究室もまたいい感じで、インスタントではないコーヒーを飲みながら『バガボンド』を読み返している。発売されたばかりの35巻もまた心に響く内容であった。

印象に残ったフレーズは「空っぽで満たされる」。

“内側は無限——、空っぽで全部ある”という言葉が、静かに微笑む武蔵の表情と相まってグッときた。刀を振りながら「からっぽで全部ある」と悟った瞬間の目の輝きはたまらない(「#306 無限の微笑」)。『バガボンド』では、武蔵や小次郎だけではなくすべての登場人物は表情で何かを語りかけてくる。たとえば伊織は回を追うごとに喜怒哀楽がはっきりしてくる。武蔵と出会った頃の陰気さがいつのまにか消え失せ、父親を失った悲しみを背負いつつも子どもらしい表情へと変化していく。その明るさがかえって切なくもあり、だけど子どもらしさを取り戻していくことに安堵感を覚える。

そして限りなく大きな闇を抱えることになった武蔵は、伊織と過ごす時間の中でかつての盟友、そして自分を思い出してゆく。これまでに幾度か触れていた真理に、今回もまた触れることができた。しかも以前よりもまた違った仕方で。その懐かしさに満ちた何ともいえない心地よさが表れている、目の輝きだった。

この表情、ふとどこかで見覚えがあるなあと思ったら宝蔵院胤舜だ。幼き頃に目の前で母親を殺された記憶を抱え、心を閉ざしたまま孤立していた胤舜は、武蔵との闘いを経てその暗闇から脱することができた。旅立つ武蔵を送り出す際の、「また会おう、今度は命を奪い合うことなく」と告げるときの表情がふと思い出されたのだった(コミックス8巻参照)。思考や経験への囚われから一瞬だけ解放される自由さともいうべきものが、あの表情からは窺える。

だとすれば、武蔵は伊織との生活の中でまた一つの何らかの囚われから自由になったということになる。その囚われとはいかなるものなのだろうか。しばらくはそれを想像して楽しんでみようと思う。それにしても『バガボンド』は汲み出しうるものがあり過ぎて困る。もちろんうれしい悲鳴なのだが。

幾つか告知をしておきたかったのだが、それはまた今度に。すっかり陽が暮れたので帰ってご飯を食べます。ではまた。