平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

新年度に入り1周目が終わったとこです。

新年度になってから初のブログ。こんにちは。

講義・実技・演習が1周して、とにもかくにも一段落ついた。今年度から2コマ増えたのでそれなりに準備が大変で、自己紹介のパターンに若干のバリエーションをつけつつ、1回目を終えたのでした。各講義・実技で、なんとなくではあっても学生たちの雰囲気を掴めれば講義の準備がスムースにできるようになる。「学生たちの学習レベルに合わすことができるようになる」という意味ではない。ここは強調しておかなければいけない大事なところで、目線を落として講義内容を簡単にすることはしない。そんなことをするのは学生に失礼だからだ。そうではなくて、学生たちの興味関心が及ぶ範囲を肌感覚で感じること。これを積み重ねることで、やがて適切な喩え話が口をつくようになる。言葉の通り道をつくる、すなわちプラットフォームを形成するための第一歩という意味で、学生たちの雰囲気を掴むことが大切だと思うのである。

たった1回の講義でなにがわかるのだ思われる方もいるかもしれない。でも、たった1回の講義でもそこにたくさんの「顔」があることは十分に感じられる。たった1回で名前と顔が一致するなんてことなんてもちろんあり得ないし、15回を終えたあとに一致することもおそらくあり得ないだろうけれど(えっ?)、学生たちの「まなざし」に晒されることで立ち上がってくる何かが確実にある。たとえこちらが一方的に話しただけであっても、学生たちは某かのリアクションを必ず返してくる。わずかな頷き、眉間に皺、机に突っ伏すなどなど。こうしたシグナルにどれだけ開いていられるかで言葉の通り道の出来具合が変わる。これはたった1回の講義であっても、わかる。もちろんうまくいきそうにないことも、わかる。

だから講義というのはまるで生き物のようで、とてもオモシロい。そしてとてつもなく厳しい。油断したり気を抜いたときは言葉が出てこなくなるし、それに応じて学生たちの「まなざし」から輝きが失われる。そんな講義のあとはいつも研究室のデスクで暫しの放心状態に陥る。とほほ。

「寒の戻り」にすっかり体調を崩してしまった。鈴蘭台は当然のようにとても寒い。ストーブに足をかざしながら、特に放心状態になることもなくこうしてブログを更新しているのは、だからそういうことなのである。

追記:

3月末に収録したラジオデイズ「コペルニクスの探求」が発売されてます。体罰問題についてや神戸製鋼の強さの秘密なんかをぼそっと語っています。皆様よければぜひお聴きください(500円かかりますけれど)。

(⇒http://www.radiodays.jp/item_set/show/641