平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

『対話のある家』(@SUMUFUMULAB)体験記その1。

過日に積水ハウスダイアログ・イン・ザ・ダークの共創プログラムである「対話のある家」を体験した。そのときに感じたことや思ったこと、のちにそれをもとに考えたことを、数回に分けて書いていこうと思う。

 というわけで今日は第1回目。まずはこのプログラムの詳細を明らかにする。

 ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)とは、一言で表せば「暗闇のソーシャルエンターテインメント」である。完全に光を遮断した暗闇を視覚障害者にアテンドされながら体験するというもので、1988年のドイツで哲学博士アンドレアス・ハイネッケにより開発されたメソッドだ。世界30カ国・約130都市で開催されるほど人気を博している。日本での初開催は1999年で、現在、東京では常時開催されている。感覚を開いて視覚以外の感覚で世界をとらえ、参加者同士のコミュニケーションを醸成するプラットフォームとして、注目されている。

 うめきたグランフロントで催されている「対話のある家」は、このDIDと、よりよい住空間の研究を追求する積水ハウスとがコラボレーションしたもので、「家(住空間)」を照度ゼロに近い暗闇の中で体験するという内容である。

 当日「住ムフムラボ」に足を運ぶ。担当者に挨拶を済ませたあと「対話のある家」を体験するメンバー同士が顔を合わせる。総勢5人。年のころは皆30代で、一組のカップルと男性が3人。この男性は3人ともにひとりでの参加で顔見知りではない。つまりお互いの素性を知らない者同士である。知らない者同士の方がオモシロそうな気がしたので僕は意図的にひとりで参加したのだが、体験後に話をしたところ他の2人も同じように考えていたことがわかった。顔見知り同士だとどこか安心してしまい、そうなると暗闇の本質に迫りきれない。どうせなら徹底的に暗闇を味わいたい。そう思ったのである。

 受付をすませ、携帯電話や腕時計など光を発するものを外したあと、5人はやや暗い部屋に招き入れられる。いきなり暗闇に入るとパニックを起こしかねないので、やや暗がりの部屋で諸注意とこころ構えの説明を受ける。アテンドするのは視覚障害者のタエさんである。

 

“まず、当たり前だが暗闇の中では何も見えません。聴覚を頼りにしなければ暗闇の中で歩いたりすることはできません。なのでとにかく声を出して下さい。ただしゃがむだけであっても、声を出しながら行なうことでその人の動きがイメージできるはずです(と見本をみせてくれる)。とにかく声を出すことと聴くことが大切です。”

 声の出所がだんだん下に移動するのが感じられ、頭の位置がだんだん下がっていく様子がものすごくよくわかった。

“次に、移動中は白杖を使って足下を確認してください。鉛筆を持つようにして、先を小刻みにトントンするか、あるいは左右に擦るようにすればいいですよ。障害物があるかどうかを確かめる意味もありますが、これから足を置こうとする場所が固いのか柔らかいのかなどの状態(タイルや砂場、レンガなど)を知るためでもあります。”

 杖の先に神経が集中して、床の材質や表面の凸凹が思いのほかよく分かった。杖の先にまで自分の身体が拡張しているように思えた。

“それから、家の中に入ると白杖は使えません。前方をはじめとして周囲に壁があるかないかを手を伸ばして確認する必要がありますが、その際、「手の甲」で行なって下さい。指先から行なおうとすると突き指をするケースがあります。目標物を視認して、いわゆる目的があってそれを触れようとして手を伸ばすときにはそれで構わないけれど、そこに物体があるかどうかを探るときには「手の甲」を使ってください。”

 これはやってみればわかるのだが、探るときは「手の甲」の方が格段に安心感が増す。指先から、つまり「手の平」で探ろうとすると、身構えが固くなり、腕や肩のあたりの緊張が高まる。なぜこうなるかはよく分からないけれど、とにかくそのような感覚を得た。もしかすると、突き指しそうなことへの潜在的な恐れからくるものかもしれない。

 

 さて、これで暗闇の世界へ入る準備が整った。果たしてどのような感覚がこの身を襲うのであろうか、楽しみと不安が入り交じる心境のまま、前の人に続いて歩みを進めたのである。<つづく>