平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

『対話のある家』(@SUMUFUMULAB)体験記その2。

 視覚障害者のタエさんにアテンドされて、いよいよ暗闇へと足を踏み入れる。ドアを一枚隔てたそこにはこれまでに経験したことのない漆黒の闇が広がっていた。多少の暗闇なら目が慣れてくるとうっすら人影が見えたりするものだが、そこではまったく見えない。「照度ゼロ」とは本当に真っ暗である。

 踏み入れてまもなく僕は腰が引けてしまった。ある種の「怖さ」を感じた瞬間から徐々に不安が生じ、だんだん増幅してゆく。「どうふるまえばよいかよくわからない」情況に晒されて、あっという間に心が不安で満たされたのだった。どうやら他の4人も同じだったようで、その不安を払拭すべく、それぞれが口々に大きな声を出し始めたのである。

「暗すぎる〜」

「しんちゃん、ここにいます」

「ラガーはここです〜」

「ここに段差があるよ〜」

「なんだか地面がざらざらしてる〜」

 言い忘れていたが、部屋に入る前にニックネームを決めて、それを呼び合おうと取り決めをしていた。暗闇の中では自分のことを「わたし」や「ぼく」と称してもうまく伝わらない。声色で「誰が」を特定できれば問題ないが、初対面同士ではそれが叶わない。だから、記憶に残りやすいニックネームを決めて、自分のこともニックネームで名指すのである。

 ちなみに僕はラグビーをしていたので「ラガー」というニックネームをつけた。ちょっとした文脈を作った方が憶えやすいだろうと思ったからである。

 事前に「暗闇の中では声を出すように」と言われていたこともあり、部屋に入った僕たちは声を出すように努めた。あーじゃ、こーじゃという声で途端に周囲が賑やかになった。暗闇突入直後のあの乱れ飛ぶよう声は、僕には雑音に聴こえた。そもそも僕自身が冷静ではなかったので、聴く耳が持てなかっただけかもしれないが、とにかく尖っているように聴こえたのである。言うなれば、情報になる以前のただの音声としての声で、だから何がなんだかよくわからない。「ここ」って、いったいどこなんだ。

 おそらくこのときの我々は、ただ自分の不安を紛らわせるために声を出していただけである。誰かに届くようにという配慮もなく、まずは自分を落ち着けるための声を出していたに過ぎない。「僕はここにいる」という情報を誰かに伝えようとしながらも、まずは不安が先に立つのでどうしても独りよがりになる。だから、聴き手には尖りのある声としてしかキャッチできなかったのだろう。おそらく僕の言葉も他の4人に届くことなく、自らの心の隙間を埋めるためだけの「がなり声」でしかなかったはずである。

 そんな中でも常に落ち着いて僕たちを誘導してくれたのがタエさんであった。彼女の導きでだんだん暗闇に慣れていくと、声の質は明らかに変化していった。声の肌理が滑らかになったというか、なんというか。たぶんこれは、徐々に不安が解消していくにつれて、誰かに届かせよう、届けようという気配りができるようになったからだと思う。そこに届けるべき他者がいる。そう意識するだけで声はメッセージとなる。<つづく>