平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「不惑」じゃなく「不或」で。

とうとう40歳になってしまった。自分が40歳であることになにひとつ実感が湧かないのだけれども、とにかく40代に突入した。ドラゴンクエストファイナルファンタジーなら、あるレベルに達すると呪文が獲得できるというようにとてもわかりやすく己の成長が可視化できるが、当然のように実際の人生ではそんなことはおきない。ただひとつ歳をとるだけで、39歳のぼくと40歳のぼくに大きな違いなど生まれるはずもない。

それでもどこか感慨深い気持ちが芽生えている。自分が40歳である事実はきちんと自覚しておかねばなるまいと、心の奥底で思っている自分がいる。得体の知れない何者かに急かされているような感じもするが、多分それは気のせいだ。スポーツ選手の習性からか、絶えず視界の外に追いやってきた「老い」だけれど、いつまでも見ないふりはできないことはよくわかっている。そろそろ向き合わざるを得ないよなと諦めにも似た気持ちが胸中に去来している。

人生80年だと考えれば折り返し地点を回った歳だとか、孔子が言うところの「不惑」なのだから迷いを打ち消してブレのない生き方をせなあかん歳だとか、世間様が作った40歳のイメージがいろいろあるけれど、これをなぞろうとはこれっぽっちも思っていない。そもそもこうしたイメージとほとんど異なる自分がいるからちょいと困っている。

つい先日も同級生と飲んでて「こんな幼い40歳でええんやろか」という話になった。とはいえ、ぼくを含めてその場にいた奴らは誰かにあかんといわれたところで無理に背伸びをするような性格の持ち主ではないのだが、酒を飲みながらでもあったし、まあ一応考えてみるかという程で話をしたわけだ。20代も半ばからよく飲むようになった彼らとぼくは、大枠のところではあのころとなにも変わっていない。変わったといえば、酒の量と食べる量で、確実に酒は弱くなった。強がりをいえば酔いがまわることにカラダがことさら抵抗しなくなったというか、むしろさっさと酔ってしまいたい、そう思って飲むものだからすぐに酔う。酒は弱くなったが、それ以外はあのころと同じだ。

そんなこんなだから「不惑」にはしっくりきていない。目指すべき理想なのかもしれないが、今の自分たちにあまりに隔たっていてちょっとつらい。四十になっても惑いまくりなぼくたちはこの先いったいどうすればいいのかと、割と本気で心配している。惑うからこそたまに集まって酒を飲むわけで、この惑いは年々深まっているような気がしないでもないから、誠にややこしい。

そこでふと思い出した。この「不惑」には異なった意味があったのではないかと、古代文字の研究者であり能楽師でもある安田登さんはある本に書いておられたことを。

不惑の「惑」という漢字。これは孔子が生きていた時代にはなかったらしい。そもそも当時は「心」という漢字がなかった。もともと孔子が口にしたのは「或」という漢字で、それをのちの弟子たちが間違って「惑」という字を宛てがった可能性が高いという。

で、この「或」にはどういう意味があるのかというと、ざっくりいえば「区切らない」ってことになる。この漢字は「矛で境界線を引く」ことを意味するらしく、これが使われている「國」や「地域」を思い浮かべれば理解しやすいだろう。

つまり「不或」はもともとはこんな意味だった。

人生40年も生きれば世間や社会や自分のことなど、ちょっとはわかった気になるかもしれぬ。とはいえ世界は広い。まだまだわからないことがたくさんある。あれはこうだ、これはこうだなどといちいち区切りをつけて決めてかかるのではなく、引き続き謙虚な姿勢を忘れずに学んでいかねばならないのだぞ、と。

惑ってばかりいるぼくとしてはどう考えてもこっちの方がしっくりくる。

そういえば30代を迎えたときには「30代はたくさん恥をかかなあかん」と言われた。新地のバーカウンターで聞いたこの言葉が今もまだ胸に残っているが、この意味は30代を終えた今になってものすごく身に沁みる。だから、いつか30歳になる後輩を前にすればぼくは同じことを口にする。たぶんちょっとだけ偉そうに。10年ごとに区切るというのはあくまで虚構に過ぎないけれど、補助線がなにもないところでは思考はたちまち拡散する。タッチラインゴールラインもない、だだっ広いだけのグラウンドではまともにプレーなどできやしない。「不或」というラインが引かれたグラウンドの上で、この10年は精一杯プレーしよう。区切られたフィールドで、区切らないように心がけて。

[参考文献]

安田登『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)

安田登『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)