平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

嘘の連鎖を断ち切るために。

なかなか周囲が賑やかしい。端的に言えば多忙だ。とても慌ただしい。

今月の始めにツイッター上で新国立競技場の問題に反対したのだが、それから数日はメディアからの取材が殺到してあたふたしていた。電話による取材は一つ一つの言葉に気をつけながら話さなければならないので骨が折れる。ならばテレビ出演すればよいだけなのだが、そこまでして反対の意を表明するのはラグビー界への仁義に欠ける。よって写真を使っての出演は許可したけれど、インタビュー取材はお断りした。だから電話取材のみで骨ばかりが折れるのもまあ致し方ない。

そうこうしていた数日後には建設計画の白紙撤回が決まる。驚いたのなんの。安保関連法案の強行採決後のタイミングでの見直し決定。これにはやられた。またもやスポーツが政治に利用されたわけで、胸中は穏やかでいられるはずもない。見直しが決まったあとは責任のなすり付け合いばかりで目も当てられないし、政治に翻弄されまくる日本のスポーツにほとほと嫌気がさしてくる。

それでも僕はスポーツが好きだし、その可能性を信じてはいる。経済効果を狙った仕掛けやメダルの獲得数を増やすためのあらゆる政策を僕はまるっきり評価しちゃいないが、こわばった心身をほどき、整えるためにスポーツがあることを夢想家のごとく信じている。敢えて競争の場に身をおくことによって競争の害悪を無化する。遠ざけて蓋をするのではなく、自らの中に置いて飼い馴らす。それができるのは競争が前提とされているスポーツだけだろう。気を許せば心がまるっと支配される勝ちへの欲求を、認めて包んで片隅に置いておく。そうできれば人は強くなれる。スポーツを通して自らの欲望やそれが生み出す暴力性を制御する。設備の整ったスタジアムじゃなくとも、周囲にいる指導者がしっかりしていればそれは可能だ。離れるための起点として選別や競争がある。

さて、ここで整理しておきたい。

今、僕たちが目を離してはいけないもの、それは安保法案だ。新国立競技場の問題もこれとの関連の中で考えるべきである。そのためにはより複雑な思考回路を要するとともに、さまざまな角度から物事を捉える視点を身につけなければならない。思い起こせば「アンダーコントロール」という嘘から始まった今回の東京五輪。嘘が嘘を生む負の連鎖はここらへんで断ち切らなければ。いささか遅きに失した感はなきにしもあらずだが、このままだと青天井式に嘘が積み上げられて、どんどん真実が覆い隠されてゆく。

声を上げつつ、自らの持ち場で善行を積もう。僕たちの「常識」が崩れつつある今、とにかく自分の考えや意見を惜しまず発信しなくてはならないと思う。当たり前だと思い込んでいることを言葉にし、互いにそれを認め合うことでしか「常識」は維持できないからだ。「わざわざ言葉にしなくてもみんなわかってるやろう」を、敢えて言葉にしてゆくことが今求められている。瓦解しつつある「常識」を再び構築してゆくために。

まずは隗から始めよ、である。

手始めにブログから。