平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

今、ここで踏ん張るために。

毎日が目まぐるしく過ぎてゆく。この土日も、合格者懇談会(来年度に入学する生徒を集めた親睦会)と入試業務で、両日ともに朝から晩まで働いた。空き時間にもゲラ(先月、岩波書店からの依頼で一橋大学の尾崎正峰先生と東京五輪に関して対談したもの)を直し、メールに返信したり、卒業論文に赤入れしたりと、休日なのにやること山積でちょっと息が詰まっている。そのせいか、月曜なのにすでに週末間近のような疲れがからだを襲っている。ふう。

仕事をいただくのはとても有り難く、メールや電話での突然の依頼であってもよろこんでお受けしているのだけど、ここまで忙しいとつい愚痴っぽくなる。ならば断ればいいじゃないかと思われるかもしれないが、その勇気がないからこうしてアタフタしているのである。

この疲れはたぶん、多忙なだけではない。

SNSをはじめとするネットから望まずとも飛び込んでくる様々な情報に、うんざりしているという節がある。我が国の政治は一体どうなっておるのだと、通勤電車の中でスマホを凝視する乗客たちに囲まれながら、ちょこちょこ憤っているのだが、これがボディブローのように精神を蝕む。嘘、欺瞞、嘲笑、冷笑、揶揄。直接的に自分に向けられたものでなくとも、赤の他人同士のそうしたやりとりにほとほと嫌気が差す。

「赤の他人」というのはちょっと違う。というのは、政治が私たちの生活をその根底から作るものである以上、それは他人ではない。その意味で、政治に関わる方々を他人であると区切ることはできない。僕たちの意を汲むべき立ち場にいる政治家の、ちょっと信じられないような立ち居振る舞いを見るたびに、やるせない怒りを覚え、だからといってどうすればよいのかがはっきりとしないから、やがて落胆し、でも生活があるから目の前のことにとりあえず注意を注ぐしかないと、思考に歯止めがかかる。

これを繰り返すことに僕はどうやら疲れているようだ。

義憤を感ずるのは、とかくしんどい。ともすれば、それをさほど感じない人たちからは冷笑されたりもするから、つらい。でも、ここ、踏ん張りどころなんだよね。

昨今の政治状況に嫌気が差したり、多忙を言い訳にそれから目を背けると、確かに楽にはなるのだけど、そうすればヤツらの思う壺。のらりくらりとやり過ごされて、この社会はいつのまにかその土台を切り崩される(すでにかなり侵食されている)。ある特定の集団だけが利益を得るような不平等がまかり通ることになる(こちらもかなり進んでいる)。

どんな目が注がれようともアカンことにはアカンと言い続けなければ、と思う。でもこれ、ホント、体力いるんよね。知的体力もそうだけど、フィジカルなそれも必要となる。ということは、どこかからエネルギーが漏れ出ているかのように、どうも気力が湧いてこない今の僕のからだは、総合的な体力が消耗しているといえるのかもね。

だからこのご時世、誹謗や中傷を恐れずに自らの意見を発信している人たちは、ホントにすごいと思う。彼らのみなぎるエネルギーを見習いつつ、疲れているなどと弱音を吐かずに僕も僕なりに考えを発信していきたいと思う。

常識の底が抜けつつある今だからこそ、できることがある。それは僕のような一介の研究者であってもそうで、研究を生業としている以上、知り得た情報をつなぎ合わせ、思考を重ねてたどり着いた考えは広く社会に放たなくてはならない。あるいは知り得た情報そのものもまた、発信しなくてはならない。それが研究職というものである。社会的に優位なポジションを確保するためだけにその技能を発揮する同意業者に、とびきり冷ややかな目を向けながら。

さて、そろそろラグビーの練習が始まる時間だ。準備をしよう。

ちなみに冒頭に書いたゲラは来月発売の雑誌『世界』2月号に掲載されます。また日が近づいたらアナウンスしますね。たくさんの人にご笑覧いただけるとうれしいです。