平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「審判への敬意」身体観測第98回目。

 約1か月にわたり熱戦を繰り広げたサッカーワールドカップ南アフリカ大会もスペインの優勝で幕を閉じた。それほど熱心なファンではない私でさえも一抹の寂しさを感じているのだから、睡眠時間を削ってテレビにかじりついた熱烈なファンは祭りの後のような静けさが心に充満しているに違いない。それと同時に、これで思う存分に眠れるという安堵感も広がっているだろう。

 大会を振り返って最も印象に残っているのは「誤審」である。大きく報道されたのは二つ。アルゼンチン対メキシコ戦でテベス選手のオフサイドが見逃されたことと、ドイツ対イングランド戦でランパード選手のシュートがラインを超えていたにも関わらず認められなかったこと。どちらのシーンも映像で確認すれば明らかな誤審であった。

 イングランドカペッロ監督は試合後の記者会見であからさまに批判の言葉を口にした。さらに、英ブックメーカーのウイリアムヒル社は「ランパードが得点する」に賭け金を投じた客に支払いを行った。誤審がまるで公然の事実であるかのような振る舞いである。 

 これには驚きを隠せなかった。スポーツをする上で最も大切なことは審判に対する敬意ではなかったか。「私たちはルールを守ります、けれども熱くなり過ぎてつい枠を超えてしまったときにはどうぞ笛を吹いてください」というのが、選手としての基本姿勢だったはずだ。その姿勢を叩きこむはずの立場にある監督が批判の言葉を口にし、グラウンド外ではジャッジを踏みにじるかのような行動や言動がまかり通る現状はどう考えてもおかしい。

 ビデオ判定導入を求める前にまず私たちにはすべきことがある。それは審判に敬意を払うことだ。たとえ誰の目にも明らかな誤審であったとしても話題のタネにすればいい。間違いを楽しめる余裕がスポーツには必要だ。

<10/07/13毎日新聞掲載分>