平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年8月18日。

先週末、8月13日から15日まで通信教育部で受け持つ科目のスクーリングを担当した。COVID-19の感染が拡大する昨今の情況にともない、通学部に続いてスクーリングもオンライン対応となった。受講生は女性がやや多めの21名。年齢は10代から50代までと幅広い。通学部の学生と比べると授業に向かう真剣さがまるで違い、zoomの画面を通してもそのまなざしから発せられる熱が伝わってくるほどだ。

通学部の学生には学生らしいゆるさがあり、それはそれでいい。その場にたゆたい、まだ将来像を明確に描けていないゆるさに染み入るようにと興味そのものを引き出すべく話をするのだが、通信教育部の受講生には当然これとは違った話し方になる。一字一句を聞き逃すまいとして、というのはやや誇張ではあるものの、それに近い構えで授業に臨んでくる受講生には、背筋を伸ばして立ち向かうようにありったけの知識を振り絞らなければならない。また積み重ねられた生活実感に厚みがあるため、それを踏まえつつの話は畢竟こちらの生活実感そのものをも差し出す必要性に迫られ、とくにテーマが健康であるからして身が切られるように感じることもままにある。今年もまた授業後の感想では、僕個人の経験談や他の受講生の発言が印象に残ると口にする人が多かった。

そんな濃密な授業が朝から夕方までを3日間。
終わると抜け殻のようになるのは毎年のことである。

日曜日をはさんで大学に出勤。今度は「採点の祭典」である。実技科目が秋に変更されたこともあり、コマ数自体は例年よりも減ったため総量は多くはない。だが、最終レポートだけでなく授業ごとに提出された小レポートの累積を点数化しなければならず、ここ2日間はそれにかかりっきりとなった。慣れないオンライン授業にエネルギーが切れたのか、講義も終盤にさしかかって課題が未提出の学生が数人いたが、ほとんどはこのコロナ禍によるオンライン対応の授業形態でもしっかりと学んでくれていたように見受けられる。

2020年度春学期の「採点の祭典」もなんとか無事に終えられそうでホッとしている。

数日前、複数の大学を掛け持ちしていた非常勤講師が過労のために倒れたというニュースをtwitterで読んだ。資料作りのために土日もほとんど休まず仕事をしていたようだ。大学を掛け持ちするというのは、それぞれの大学の方針に従わなければならず、資料を作るにしてもネット上にアップロードするにしても、各大学のやり方に合わせて行わなければならない。僕の知るところでは、オンライン授業の実施には各大学で方針が大きく異なっている。たとえば学生数の多いマンモス校とうちのような小規模校では、その方針が違って当然で、1クラス辺りの受講生の数によってそれぞれに適した形態がある。端的にいえば、zoomでのライブ講義と録画した講義をいつでも視聴できるようにするオンデマンド方式という違いがあり、それを鑑みての資料作りや授業作りで過労となったのだと思う。

過日、とある衆議院議員が、オンライン対応で先生は楽をしているのだから学費を減額すべき
という内容をtweetしていたが、学生を前にした教員が教育機会を確保し、その質を落とさないために日夜どれだけ努力しているのかをはたして知っているのだろうか。ほとんどの教員はこれまで対面での講義を主戦場にしてきただけに、不慣れなオンライン授業を行う上では確かに至らない点はあるはずだ。精一杯パソコンの画面をにらみつけながら資料を作っていた僕自身も、対面授業のときと比べて遜色ない教育を実践できたどうかと問われれば定かではない。振り返ると反省すべき点もある。だが、この教育現場の奮闘を知らずして瑕疵を責められる筋合いはない。すべからく教員とは児童、生徒、学生の教育に誠心誠意取り組むものだ。日本中、いや世界中の教員はこのコロナ禍において、与えられた持ち場で目の前の子どもたちの教育機会を大事にし、その質を高めるべく努力しているのである。それを忘れてもらっては困る。

僕としては、思いがけなくオンラインならではの教育的効果を実感することもあった。対面授業に勝るものはないと今でも思ってはいるが、オンラインだからこその効用もまた実感している。そのひとつに「1対1でのコミュニケーションの密度」がある。うちの大学はteamsとzoomの併用だったのだが、teamsのチャット機能を通じて対面のときよりも頻繁に学生とやりとりする機会が増えた。学生も、面と向かってだと話しにくいけれどチャットを通じてなら質問しやすいらしく、講義内容を踏まえた上での質の高い質問が散見された。僕の方はそのやりとりから学生自身の考えが把握できることで「顔」が明確に浮かぶ。大人数の対面講義ではかき消されがちな「個人」が、チャットを通じて不特定多数のなかから浮かび上がるのだ。直接やりとりをしたという手応えを学生も感じているらしく、やりとり以後その学生は目に見えて授業に積極的になった。

現状を憂いてばかりではダメで、見通しが立たない今の情況で何ができて何ができないのか、それをじっくり問いながら、秋以降もまた授業に向かおうと思う。

ひとまずこのコロナ禍におけるほぼ全面オンライン授業を終えたことをよろこびたい。全国の大学教員のみなさま、そして学生たち、お疲れさまでした。小学校から高校までは夏休みも短く、すでに2学期が始まっていると聞きます。先生方、そして児童、生徒のみなさん、ぼちぼちといきましょう。