平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「手を染めた理由」身体観測第42回目。

シドニー五輪の元金メダリストであるM・ジョーンズに実刑判決の厳罰が下された。禁止薬物使用とそれに伴った偽証罪に問われた彼女は、メダルを剥奪された上に6ヶ月間の禁固刑を受けることになった。後に続くアスリートが薬物に手を出さないようにとの抑止効果を意識した厳しい判決内容には、昨年末に公表された大リーグの薬物使用実態報告書「ミッチェル・リポート」がもたらしている社会的な影響も、おそらくは加味されている。

ドーピングをすれば確実に身体を痛めることになる。それをわかっていながら手を染めてしまうアスリートが後を絶たないのはなぜか。それは、競技の結果如何で社会的に承認され、それに伴って多額の報奨が得られることと密接に関係している。

例えばオリンピックだと、JOC日本オリンピック委員会)からは金300万円、銀200万円、銅100万円の規定に沿って支給され、さらには各競技団体や所属企業からも独自の基準で支給されるために、手にする金額は相当な額になる。他国では一軒家や終身年金といった報奨もある。

しかし、高額な報奨に釣られてドーピングに手を染めるのは、どう考えても平仄が合わない。人一倍身体に神経を使うアスリートが、将来の可能性を担保にしてドーピングに踏み切るには、もっと切迫した動機が必要だろうと思うからである。

ともすれば命をも削りかねないにもかかわらず覚悟を決めた裏にあるのは、貧困や人種差別ではないか。家族や故郷を養うために多額の報奨を、自らの尊厳のために社会的な承認を得ようとして、彼らは一線を越えてしまう。もしそうだとすれば、ドーピングだけを悪だと決めつけることはとてもできない。

スポーツの社会的認知は高まりつつある。それだけに、スポーツのあるべき姿は多角的な視点から模索されなければならない。ドーピング問題は、その必要性を如実に物語っている。

<08/01/22毎日新聞掲載分>