平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年4月8日。

昨日は自宅で娘をみながら仕事をしたが、今日は大学に。Skypeでの会議を終えたあとは、今後の予定を見据えた上での会議を2つ済ませる。今後の情況次第では予定変更が余儀なくされることがわかっていながら、いくつもの議題について話をするというのは想像以上の疲労感がある。うちの大学でも、明日からは原則的に在宅勤務ということになった。とはいえ数々の資料が研究室にある以上、すぐにそれが可能かというと難しい。大きな鞄を持ってきて、それに重要な資料を詰め込んで持ち帰ることをしなくてはならない。こんな事態だから致し方がないし、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためにもそれは必要なことだ。

 

緊急事態宣言が出され、それ以前よりもこの身を取り巻く空気がよりいっそう重苦しくなったように感じる。閉塞感が漂う日々は、まだしばらく、少なくともここから1ヶ月は続くだろう。ストレッチや家の中でできる運動をすることで、せめてフィジカルとしてのからだの緊張は取り除いておかなければならない。娘と遊びながら、その心身の成長を見守るのと同じく、自らのからだの内側を観察したい。からだが未発達な娘は家の中で走り回る速度も上がり、足指をうまく使いながら方向転換をスムースに行えるようになっている。今まさに成長プロセスを歩む娘のからだは、いつか僕が歩いてきた道をゆっくりと進んでいる。それに思いを馳せながら、いつしか錆びつつある自らのからだを今一度点検してみるのも楽しいはずだ。

 

というかすでにそんなふうに観察して今に至るわけだが、あらためてそれを楽しむ態度を大切にしようと思う。波打つ感情も、暴走する思考も、つまるところ「このからだ」から生まれるのだから、まずはからだを健やかに保っておく努力は、今もっともしておかなくてはならないことだ。狭い室内でどういうことができるのか。ストレッチポールの活用やヒモトレ、腕立て伏せや体幹レーニングなど、単に筋肉を維持する、鍛えるという目的ではない運動のあり方を模索してみよう。