平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年5月20日。

今日はzoomでのゼミ。学生のリクエストに応えて食をテーマにディスカッションをする。栄養学的に正しい食事を心がけたとしても、太る人もいれば痩せる人もいる。みるみる健康になる人もいれば、そうでもない人もいる。それはなぜかという問いをめぐって話をしたのだが、日々の生活での実感を大切にする学生が多く、すでに本質を掴んでいたようである。「これをを食べれば痩せられる」「この方法で誰もがダイエットに成功する」などという耳あたりのいいフレーズがいかに胡散臭いことかは、肌感覚でわかっていたということだ。

太りやすい、あるいは痩せやすい体質にそれぞれ違いがあることは生活実感でわかっている。でもいざその理由を問われれば答えに窮する。ほとんどの学生は漠然と「体質の違い」としてしか解釈できていない。

では体質とはなにか。遺伝的要素は無視できないにしても、あえて一つ挙げるとすればそれは腸内環境の違いだといえる。

腸内環境は、今日まで生きるなかでの食生活で決まるわけで、腸をはじめとする私たちの消化管は長らくの時間をかけて今の状態になった。腸内細菌の一つである、食物繊維をタンパク質に分解するクロストリジウムの割合も人によって異なる。もしこのクロストリジウムが占める割合が大きければ、野菜中心の食事を心がけても筋肉は維持されるわけで、少食でも筋肉質なからだを保てる人はそうした腸内環境を持っていると考えられる。ユーバクテリウムもタンパク質を合成する腸内細菌で、なんとコイツは尿として体外に排出されるアンモニアを分解する。「捨てるもの」を「栄養素」に変えることから、別名「リサイクル細菌」とも呼ばれるスグレモノである。これら腸内細菌の割合の違いが、体質をかたちづくっているのである。

「食」について考えるとき、つい私たちは「食物」ばかりに意識が向きがちだ。栄養学的な知識をもとに何を食べればよいかに腐心するのだが、それだけでは片手落ちである。つまり「食は「体の側」からも考える必要がある。さらに食事は心を満たすものでもあるからして、好きなもの、おいしいと感じるものを口にすることも大切だ。

「自分にとっての最適な食」こそが心身の健康を保つ。だから栄養素のことを考えすぎたりすることはナンセンスであり、こんなふうに「食の意味」について考え込むこと自体、「幸せな食事」から遠ざかってしまう。病の身ならこんな悠長に構えられないのは言わずもがなだが、ある程度健やかに毎日を過ごせているのであれば、四の五の言わずに体が欲するものを、体が欲するときに食べればいいのである。

というようなことを、ちくま新書から出ている岩田健太郎さんの『食べ物のことはからだに訊け!』を参考に話をしたのであった。

そのあとはランチを挟んで、ラグビー部のzoomミーティング。2ヶ月ぶりに画面を通じて対面した部員たちは、一様にこの自粛生活に飽き飽きとしていた。コマ数の多い1、2年生はオンライン授業にいささか疲れている様子で、対する4年生は授業が少なく暇を持て余している様子であった。今こそじっくり卒業論文に取り掛かれるぞと発破をかけておいたが、果たしてどうなることやら。

週末にはzoomによる哲学カフェで講師を務めるので、その準備を始めようと思っていたのだがもうこんな時間に。オリンピックについて話す予定だから、それに関する書物を再読しつつノートを作るのは明日以降に持ち越して、今日のところは帰路に就くことにしよう。帰りのお供は白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済)。家に着くまでに読み終えたい。