平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年5月14日。

しばらく書いていなかった。手帳やメモ帳に殴り書き程度には日記をつけてはいたのだが、ここには書かなかった。前回の日付けが4月20日だから3週間ほどが経過したわけだが、この間を振り返ると、ここに書かずとも毎日をなんとか機嫌よく過ごせる程度に心が落ち着いていたのではないかと思う。

緊急事態宣言が発出されてしばらくは、「自粛の要請」というねじくれた表現で表される生活を強いられることに苛立ちを隠せなかった。普段なら軽く受け流せるはずの言葉も、妙に意識に引っかかってその都度イライラしてしまう。ウイルスへの感染阻止を気に留めるあまり、いつもより少しだけ緊張度が増した心が勤続疲労を起こしていたのだと思う。Twitterを始めとするSNSでも、仕事関係のメールでのやりとりや妻の一言でも、しばらく時間が経つと苛立った理由を忘れてしまうほど些細なのに、なぜだか苛立ちが尾を引くのである。

漠然としたこのモヤモヤは書くことで解消しよう。そう思い立って、しばらくぶりにここで書くことにしたわけだが、それが功を奏してか、ここにきてどうやらこの「自粛の要請」にも慣れてきたように思う。人間が備える環境への適応能力は実に見事なものだ。

でも、それと同時に、慣れてはいけないとも思う。緊急事態宣言が出てからずっと感じていたあの苛立ちは、人知が及ばないウイルス蔓延だけに致し方ない部分も多いのだが、それだけでなく国策があまりにもお粗末だったことがたぶんに影響していると感じるからだ。

もっと早く外出の規制を行なっていれば自粛期間はもっと短く済んだのではないか。あるいは未だ届いていないマスクの配布をする暇とお金があるのであれば、休業補償を手厚くしかも素早く行うこともできたはずで、然るべき政策を実行していれば僕がずっと感じている不安は今よりももっと小さくて済んだはずだ。

日々の生活をご機嫌に過ごす努力を続けるとともに、社会のありようを冷静に観察する姿勢は手放さずにいたい。ウイルス禍の今だからこそ声を上げなければならない。