平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「禁止令にも熱狂」身体観測第28回目

その昔、サッカーの試合をしていたエリスという少年が思わずボールを拾い上げて走り出したことからラグビーは始まったと言われる。しかしながらこの話は事実ではない。イギリスのラグビー高校にはエリス少年を讃える石碑が存在しているが、スポーツの近代化に伴ってプロ化が進む社会へのアンチテーゼとして、かつてのラグビー校OBたちが後付けした物語ではないかと言われている。

もともとはラグビーもサッカーも「フットボール」と呼ばれる一つの競技であった。産業革命が起こり世界に先駆けて近代化しつつあったイギリスにおいて、街ぐるみで一つのボールを奪い合うようにして行われていたフットボールは、脱臼や骨折などの大けがをしたり、ときには死者が出ることもあるほど荒々しい内容であった。それでも熱狂する市民が後を絶たず、国を上げて幾度となく禁止令が出されたにもかかわらず、その熱が冷めることはなかったという。

やがて中産階級が社会の表舞台に進出し始め、ラグビー高校のアーノルド校長が教育改革に乗り出したときにスポーツを教育に取り入れると、フットボールの舞台は街からパブリックスクールへと移っていった。学生たちの自主運営を中心としながら安全に配慮したルールがつくられていき、その過程で手の使用を禁止したのがサッカー、少々危険であってもボールを持って走るというフットボール原初の形態にこだわったのがラグビーなのである。

イギリス国内で交通インフラが整備されていくにつれて各高校の間で試合が行われるようになり、ルールをサッカー型にするかラグビー型にするかでもめることが当時は多かったようである。僕はサッカーをするのも見るのも嫌いではないけれど、ファールを誘うためにオーバーアクションで転ぶ選手の姿にどうしても辟易としてしまうのは、こうした歴史の影響を受けているからなのかもしれない。

<07/07/10毎日新聞掲載分>