平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

生涯現役宣言!

月曜日に復活宣言をしておきながら、その夜から再度症状が悪化してしまいしばらく寝込んでおりました。熱が出てフラフラになるし腰はガチガチに固まるしで、いやいやとにかく参りました。おかげでゼミは休まざるをえず、青山さんとの三人会ではいつも談論風発、“関西笑談”でも大変お世話になったトリイブチョーが東京に行ってしまわれるので企画された新地【がるぼ】送別会にも行けず。ああ僕はなんて不甲斐ないのだ、と自分を責めたくなる気持ちなんとかやりすごして回復に務めていると、少しずつ身体が軽くなっていって今日を迎えることになった。それでもまだまだ本調子とは言えない。油断大敵の面構えで今日も一日を過ごそうと思う。

1週間ものあいだ寝倒していたので、当然のことのようにあちらこちらでやるべきことが山積している。先日にこのブログでも書いた朝日新書の校正がドカーンと目の前にそびえ立つ。その上に毎日新聞『身体観測』原稿、SCIXコーチングブログとラグビークラブ活動報告。来週のゼミに向けての論文通読……。

えーっとこれだけやったっけ?
いやいやそんなことはないが、これ以上は羅列しないでおこう。気分が滅入る。
それでもなんとかしなければ。なんとかしよう。
うーん、なんとかなるだろう(笑)。

現役を引退してからというもの何かしらやるべきことが目の前にあったから、顔を伏せたままにとにかくそのやるべきことに邁進してきた。ふと顔を上げて周辺をキョロキョロしている余裕などほとんどない状態でここまでやってきて、大学の春学期が終了してTAをしていた時間分だけフレキシブルになった今、すっかりと自らの周辺事情が様変わりしていることに実感している。

CANVAS.でこれまでに書いたものを読み返していたときに気付いたのだが、昨年の今頃はなんと!ラグビーをしていたのである。まだ!ラグビーをしていたのである。当たり前なんだけれど。

いざ引退してみると、さあ次のステージに意識を向けなきゃという気持ちがあった。僕の場合はケガが引き金となったこともあって、引退を決めたときにはまず安堵感が湧いてきたことはいつかに書いたが、だからといって全く名残惜しくないかと言えばそうではなく、何だかよくわからない気持ちが渦巻いていたのは事実である。うーん、何て言うのかな、ラグビーへの郷愁といった具体的なものではなくて、これからの人生や僕の人格に対する漠然とした不安ともいうべきものが心の中にドカンと根を下ろしていたんだろうと推測される。

それもこれも今から思えばってことだけれど。

引っ越ししたりスーツを着る回数が増えたり「教える」機会に身を置くことができたりと、実際に現実の生活も大幅に様変わりしたことにより、とにかく目の前に置かれた仕事に取りかかるより仕方がなかった。慣れないことだからこそ手間取るし時間もかかるし一喜一憂もする。あーでもないこーでもないと考えるのは僕の専売特許であるから、どうあがいても思考することを軽んじられないけれど、それでも「とにかくやる」ってことだけは他の何を差し置いても譲らずにきたから、余計なことを頭で考えている時間がほとんどなかった。それがよかった。とっても有り難かった。ほんとに。ラグビー選手だったことが遠い過去に感じられるほど、今ここに埋没できているのだから。

でも僕はかつてラグビープレイヤーだった。

実績と経験から自らのラグビー選手像を手前勝手に書かせてもらえば、自信を持って胸を張れる部分と、もっとこうしておけばよかったよなあと自らを冷静にダメ出しして後ろめたい部分が、混在していると思っている。そして、もしかしなくても後ろめたい部分の方がとてつもなく大きい。それでも、こうしてノホホンとしていられるのは、どうしてそう感じるのかはよくわからないけれど、周りのあたたかい目に見守られながら自らの足で歩み始めたこの道では、自分に自信を持って胸を張れるような気がしているからである。ラグビープレイヤーとしてだけではなく、自分そのものにたいして胸を張れるような気が。

確かに、一線級からは身を引いた。でも、巷間で流布されている「一線級」という言葉は勝敗強弱の世界において意味をなすものである。ラグビーの目的を身体の錬磨や人間的資質の涵養だとすれば、僕はまだ充分に「一線級」にいる。

だから僕は未だにラグビープレイヤーであるし、これからもラグビープレイヤーで居続けるものである(断言)。