「ケガから始まる」身体観測第121回目。
ケガをしたことがきっかけで僕は現役を引退した。ある日の練習で軽く相手とぶつかった直後、ふと顔を上げると右斜め前方に立っている選手が二人に見える。心なしか視界がぼやけていてふらつく感じもする。たとえるなら水族館で分厚いガラス越しに魚を見たときのような感覚で、遠近感が覚束ない。まるで絵の具をべた塗りしたよう景色が目の前に広がっていた。
コンタクトスポーツであるラグビーでは脳震盪は珍しいことではない。タックルした瞬間に数秒間の記憶がなくなることだってしばしばある。だからいつものようにしばらく休めば大丈夫だろうと高を括っていたのだが、今回ばかりは違った。症状が落ち着いたのを見計らって一度は練習に復帰したものの、相手とぶつかるたびに視界がぼやけるのである。
病院も数軒回り、精密検査も受けたが、はっきりしたことは何もわからない。最終的にはこれまでに何度も繰り返した脳震盪の後遺症だろうと診断されたが、つまりは原因不明。完治までの目処が立たず、現役生活最後の2シーズンはいつ治るともわからないケガを抱えたまま過ごすことになった。
出口の見えない状態で過ごす日々はなかなかつらいものがある。安静にしなければならない状態でいくら休んだところで心身が休まるはずもなく、否応なしに襲いかかる焦りと不安でむしろ圧迫感は増す。症状が治まりつつある実感が何もない状態にはやはり堪え難い。なんとかしなければと手足をばたつかせつつ読書に励んでいたことがふと思い出される。
できれば思い返したくもない苦い経験なのだが、あれから数年が経った今となってはそうでもない。このケガからしか学べなかったことがあるからだ。向き合い方によってケガは選手を成長させ、自らの身体と対話を始める大きなチャンスになり得るのだと、僕は声を大にして言いたい。
<11/06/07毎日新聞掲載分>